昭和五十七年度に建築史、考古学の分野で大きな話題になったのは、山田寺の発掘であった。千余年埋まっていた木の柱や連子窓が、そっくりそのままあらわれて驚かされた。この建物は法隆寺より半世紀も古い。腐りやすい木が、土の中でよくその姿を保ってきたのは、古代人の木のいのちに対する祈りを、そのまま伝えるものとして人びとの心を打ったのである。
その中で興味深かったのは、柱がクスノキであったことである。その理由を用材の不足のためとみるか、ヒノキは神様の木、クスノキは仏様の木というように解釈するかは、今後に残された研究課題であろう。 ところで私たちがいま木造文化財を語ることができるのは、木が長持ちする材料だからである。だがそれは石のように不変ではない。少しずつ変質しながら生きつづけている。つまり木は建物や彫刻に使われたとき第二の生が始まって「二度生きる」わけである。ここでは木の第二の生涯について書くことにしよう。
先に私は千三百年経った法隆寺の古い柱と、新しいヒノキの柱と、どちらが強いかという話を書いた(第一章)。その結論は木はいったん強くなったのちに弱くなるということであった。そのことについてもう少し説明を補足しよう。ヒノキの古材について実験した結果をまとめると、図1、図2(一七二ぺージ)のようになる。つまりヒノキは古くなるにつれて、硬く強くかつ剛くなるが、一方では脆く割れやすくなっていくということである。
一方、広葉樹のほうはどうであろうか。その代表であるケヤキの強度の経年変化を示すと図3(一七二ページ)のようである。いずれの強さも新材のときはヒノキの約二倍あるが、数百年を経ないうちに、ヒノキよりも弱くなってしまう。同じ木でありながらヒノキとケヤキの老化の様相が、このように違う理由はなぜであろうか。
木の強さを支配する最大の組成分はセルロースであるが、二つの木のセルロースの崩壊の速度には大きな差があって、ケヤキはヒノキの五倍も速い。いい換えればヒノキの五百年間の老化は、ケヤキの百年間の老化に相当するということである。
木材が古くなるにつれて次第に弱くなっていくことは、以上の説明で理解できる。だがいったん強くなるのはなぜであろうか。それは崩壊と同時に結晶化がおこるからである。ただし結晶化はあるところで飽和状態になって、それ以上は増加しない。その様子は図4(一七三ぺージ)に示す通りである。木の細胞膜は長い糸状のセルロース分子が並んでできたものであるが、部分的に結晶領域と非結晶領域とに分かれている。古くなると結晶領域が増大し、それにともなって材質は硬くなっていく。一方でセルロースの糸は少しずつ切れていく。つまり木は古くなるにつれて一方で強くなる因子が作用するが、他方では弱くなる因子も作用する。二つの因子の相互作用によって強さはいったん上昇したのちに下降する、というように考えれば分かりやすい。図4の下に書いた曲線は、古材の中に含まれる結晶領域の含有率を示すが、この曲線と強度の経年変化の曲線がきわめてよく似ていることは、右に述べた推測が妥当であることを証明している。ところでヒノキの経年変化には上昇があるのに、ケヤキにあらわれない理由はなぜであろうか。それはケヤキの崩壊速度が速いので、プラスの因子よりもマイナスの因子のほうが大きく働くために試験のデーターにはあらわれないのである。
図6(一七三ページ)は、古材の吸湿性が新材を熱処理したものと同じ挙動を示すことを証明したものである。また図5(同)は地上にある建築材と地中に埋まった木材の老化の速度を比較したもの。埋没材は地上材よりセルロースの崩壊がはるかに早いが、それは水に浸かっているためである。
図7(一七四ページ)は人工的に木材を老化させるための温度、湿度の条件を計算する図表である。タテ軸はセルロースの含有率が一パーセント減少するに要する時間の逆数、ヨコ軸は温度を示している。炉乾とは地上材、封管とは埋没材の条件の意味である。この図から常温で千年かかる老化を再現するには、七十度なら五百日、百度なら十日程度で人工的に古材をつくることが可能であることが読み取れる。
*発掘された山田寺の回廊、柱と連子窓がそのままの姿で現れた
*木材の強さの経年変化
*図1 古材の強さ(ヒノキ)
*図2 衝撃曲げ強さ(ヒノキ)
*図3 ヒノキとケヤキの強度の比較
*図4 結晶領域の経年変化(ヒノキ)
*図5 地上にあった古材と地中に埋まっていた古材のセルロース崩
壊の比較
*図6 熱処理による吸湿性の変化(ヒノキ、130℃、5時間)
* 図7 セルロースの崩壊の速度と、温度、含水率、樹種の関係
(A:Activation energy)