これまでに私は、日本人はヒノキの白木の肌を中心にして独特の木の文化を育てて来たと書いた。この木の文化の特色をはっきりさせるには、ヨーロッパの金の文化と比較するのがよいが、ここではもっと身近なところと比較してみょう。韓国は日本に一番近い文化を持つ国である。司馬遼太郎氏はその著『日本の朝鮮文化』(昭四七)の中で、次のような意味のことを述べている。
「人種としてのツングースの仲間に朝鮮人も日本人も入る。要するに昔の騎馬民族というものの後裔で、たまたま朝鮮半島地域におるのは朝鮮人であり、日本列島におるのは日本人と称せられることになっただけのことだ」
という。なるほど、両国の間にはそれほど共通点が多いのかと改めて思う。
事実韓国に行って博物館の中で、古い出土品や彫刻、絵画などを見ていると、私たちは日本の博物館の中にいるような錯覚をもってしまう。ところが外に出て庶民の住宅をみると、やっぱり異国にいるのだと思う。それは住まいが木で造られていないからである。そしてもう少しこまかく住宅や室内をみると、しみじみ日本は木の国だという思いを深くする。木の使い方がまるで違うからである。このような違いは、韓国が古くから木に恵まれていなかったためであろう。たとえば韓国の代表的な木造の文化財をあげれば、海印寺や仏国寺ということになるであろうが、それらの伽藍の細部を見ると、異様に思われるほど木の使い方(一四一ページ写真)が違う。そのことについては、前に京都広隆寺の宝冠弥勒に関連して述べたところであった。
さらに第二章で古代にコウヤマキが百済王の棺材として、朝鮮に輸出されていたことを書いたが、これも朝鮮の木材不足という背景があってのことであったろう。だから朝鮮の木製品は木肌をそのまま現すことなく、螺鈿のたんすのように木の表面を塗りつぶす技術が発達したのだと思う。両国の文化をみると、ほかの面ではずいぶん共通なところがあるのに、木に関する限りこんなにも違うのかと、しみじみ考えさせられることである。
以上の事情は中国についても同様である。古い漢時代の書物には、「攻め亡ぼした敵の国王の墓を掘りおこし、その棺材で宮殿を建てたという記録がある」と貝塚博士は書いているが、日本ではとても考えられないことである。その流れを汲む神経のあらい使い方がその後もずっと中国には続いているけれども、これもわれわれの木の文化とは根本的に違うものである。中国はやはり土の文化であり、陶器の文化の国である。