なおここで、材料がその時代の人びとの心や生活にまで影響を及ぼした例として、柳田国男氏の『木綿以前の事』(昭14)の中から引用しよう。それには「木綿が普及したのは、第一は肌ざわりであり、第二は染めが容易なことであった。そして木綿によって、それより以前の麻のまっすぐなつっぱった外線はことごとく消えてなくなり、いわゆるなで肩と柳腰がいたってふつうのものになってしまった。そして同時に、軽くふくよかな衣料の快い圧迫は肌を多感にし、胸毛や背の毛の発育を不要ならしめ、身体と衣類との親しみを大きくした。つまりは木綿の採用によって、生活の味わいが知らず知らずの間に、こまやかになって来た」と書かれている。このように考えてくると、ヒノキの白木の肌は、木綿に劣らない大きな影響を、その時代の生活に及ぼしたとみてよいであろう。
ここで参考までに、針葉樹と広葉樹の木肌の艶の違いを、光線の反射率で比較してみよう。針葉樹は細胞の組織が均一であるから、広葉樹の約二倍に近い値を示している(堀岡邦典「木材工業」8・6、昭26)。つまり白木の肌の美しさを誇ることができるのは、広葉樹の中の特殊なものを除けば、針葉樹のみであることが、この数字からもうなずける。一方、広葉樹は塗装することによって、はじめて独特の美しさが発揮されることは、前にも述べたとおりである。
以上に、私は時代の流れにともなって、彫刻用材のうえで移り変わりがあったことを述べてきた。同じような例はヨーロッパにもある。たとえば家具の用材についてイギリスの歴史家であるPercy Macguoidは英国の家具史の木History of English Furnitureをあらわしている。それは四冊からなる大部の著書であるが、各冊は材料の種類によって、次のように分けられている。
(一)The Age of Oak ナラ時代(1500~1660年)(二)The Age of Walnut クルミ時代(1660~1720年)(三)The Age of Mahogany マホガニー時代(1720~1770年)(四)The Age of Satin-Wood サテンウッド時代(1770~1820年) 家具の歴史を用材の極類によって、時代別に区分するという考え方は面白い。それは時代と共に嗜好が変わったことを意味する。ついでながらここにあげられている樹種は、いずれも広葉樹である。イギリスでは美しく塗装された木材の肌が賞味されたことは、先にも述べたが、これはわが国の白木の使われ方とは対照的なものである。
日本における建築用材は、すべての時代を通じて針葉樹が中心であったことについては、これまでにもしばしば述べてきた。なかでも宮殿建築にはヒノキが使われたが、桃山時代からはケヤキがこれに加わってくることになる。しかしケヤキが使われたのは、城郭と寺院のごく一部に限られていて、神社や宮殿などの用材が針葉樹であることには、なんら変化はなかった。
ケヤキはわが国の広葉樹を代表する良材である。これが使われるようになった経緯は、ヒノキの大材の欠乏ということも一つの要因であろうが、それよりももっと大きな理由は、硬く丈夫で金属的な光沢をもち、耐久性も比較的大きく、その材質が城郭建築によく適合していたためであった。たしかにあの雄渾で堅緻な木目は、桃山時代の建築様式によく合致している。しかし耐久性という点に限っていえば、ケヤキはヒノキほどに優秀ではない。この点については、後に第六章の木材の老化の項目の中で説明するが、いずれにしても私たちが広葉樹のケヤキに馴染み始めたのは桃山時代以降のことであった。
いまわれわれの周囲を見回すと、建物の室内や家具には、ナラやブナのような広葉樹が使われていて、針葉樹はほとんど見当たらない。だがこうした広葉樹材が私たちの生活の中に入ってきた歴史はきわめて新しい。それはヨーロッパ文化が輸入された明治以降といってよい。つまりナラでおよそ九十年、ブナでは六十年くらいのものであろう。いわんやチークやラワンのような南方材がごくふだんの生活の中に入ってきたのは、それよりもずっと新しく昭和の年代になってからのことである。 いま日本は年間に使用する木材の七割を輸入材に頼っているから、森林県といわれるところでも、建築用材には外材を使うようになった。そのため広葉樹を使うことに馴れて、それが当たり前と思うようになったが、大正の中期ころまでは、ナラやブナは雑木とよんで、薪にしか役立たない木だと考えられていたのである。つまり広葉樹と私たちのつきあいの歴史は、洋服や西洋料理と同じくらいの短さでしかない。だからその使い方に馴れて、自家薬ろう中のものとするには、なおいくばくかの時間と訓練を必要とするのである。いまや私たちの暮らしは、和洋折衷になった。そのインテリアの中にはヨーロッパ人から見れば、ずいぶんおかしな広葉樹の使い方が見受けられるが、それはこうした理由によるのである。