前節で私は、飛鳥時代の彫刻の用材はクスノキであることを述べた。それが奈良時代、貞観時代を経て藤原中期以降になると、すべてヒノキに変わっていく。その流れの中で宝冠弥勒のアカマツは唯一の例外で、用材の変遷のうえからすれば、日本の仏像彫刻の流れに乗らない異質のものである。さて、アカマツということになると、まず第一に出てくる疑問はどうしてこんな木を使ったかということである。これまでに私が調べた七百五十体ほどの彫刻の中には、アカマツは一体も出てこない。 ところで用材がアカマツだからといって、それだけですぐ朝鮮半島で彫られたとはいえない。アカマツは朝鮮半島にも日本にも生えているからである。しかし唐古や登呂のような古い時代の発掘から平城京の遺跡までを含めて、これまでにわが国で出土したいくつかの木製品を調べてみても、立木のマツは出てくるが道具として造られたマツの製品は見当たらない。その理由は材にヤニが含まれていて、刃物が使いにくいからであろう。ただし建物をマツで造った唯一の例外がある。それは出雲の松江市にある神魂神社で、朝鮮のやり方に習って建てられたものというが、宮大工の話によると、刃物が使いにくくてずいぶん苦労したということである。この神社は出雲大社の本官ともいわれるほどに古い歴史をもつところであるから、朝鮮の影響があったとしても不思議ではなかろう。
ところで、朝鮮半島におけるマツの使われ方についてであるが、私がその後韓国を旅行して、木の使われ方を調べたところによると、韓国で彫刻をつくるとすればマツ以外には考えられそうもない、というのがその結論である。というのは現在の韓国の木材の使われ方を見ると、建築にしても家具にしても、木でつくったものはほとんどマツで、そのほかは南方の輸入材しか見当たらないというのが実情である。木が豊富で、繊細な日本的使い方に馴れた私たちの目から見ると、韓国の木の使われ方は想像もできないほど神経の荒いものといえそうである。
例えば家具を例にあげよう。日本ではどこの家に行ってもキリのタンスがある。韓国でそれに相当するのは螺鈿のタンスだ。黒くピカピカ光って、貝の文様のはめこまれた収納具である。ところがその骨組になっている用材はマッで、それも日本ではとても想像できないような節だらけの粗末な木である。要するに韓国では木目の美しさを生かした白木の家具というのは全く見当たらない。建物はマツと土でつくり、室内はオンドルの土の床の上に螺鈿のタンスをおく。そこで使われている木はほとんどマツですべて表面を塗ってある。現在のこの住まい方の中には、昔の姿がそのまま残っているところがかなり多いとみてよかろう。
日本の山に生えている樹木の種類はまことに多様で、そのうえ良材が多い。ところが韓国の山というのは、土質が花崗岩の風化した砂質土と、花崗片麻岩の風化した粘土とが七十パーセントを占めていて、植生は日本よりかなり単純である。その中で有用樹種をあげるなら、山地に生えているのはアカマツ、クロマツ、カラマツ、モミ、ツガ、ゴヨウマツ、ナラ、カバ、ドロノキくらい、平地に生えているのはアカマツ、ポプラ、アカシア、ヤナギ、キリ、クロマツくらいである。『日本書紀』には、五十猛命が高天ヶ原から木の実を持って降りられたけれども、朝鮮半島には植えないで日本に播いたという話が書いてあるが、それはかなり現実と合致しているように思われる。
例えばいま、韓国の代表的な木造建造物をあげるなら、海印寺や仏国寺、法住寺などであろうが、そういう伽藍をみても、曲がったアカマツに節だらけのクリやナラが混じっていて、日本の木造建築に馴れた目で見ると、むしろ異様な感じさえする。恐らくこの事情は昔からあまり変わっていないであろう。百済の王陵の棺材はいずれもコウヤマキでつくられており、それは日本から運んだものだということについては前にも書いた。そのことは朝鮮半島にはもともと良材が乏しかったことを裏付けるものであろう。つまり木の使い方に関する限り、日本流の考え方は韓国では通用しないと思ったほうが当たっている。
ただし以上に述べたのは、朝鮮半島南部についての話で、北に行けば金剛山などがあるから事情は違うが、当時の舞台である朝鮮半島南部を対象にする限りでは、木材の事情は以上のように考えて大きな誤りはないように思う。