木で軽い代表はスギとキリで、数寄屋普請の造作にはスギを使い、タ ンスの材料にはキリを使う。こうした軽くて柔らかい木があってこそ和 室のたたずまいは整うのである。
スギは日本を代表する木でどこへ行っても生えている。用材としては 木肌が柔らかく、絵絹のようなうるおいをもち、木目が素直だから、眺 めているだけで心がやわらいでくる。庶民の生活と最も深くかかわって 来た木であった。ヒノキは日本の木の王様だが、やや重い感じで、木目 も目立たず変化に乏しい。しかし気品の高さは随一で、やや貴族的であ る。キリは国産材の中で最も軽い。木肌は見るからに軽快でスギの木肌 とよく合う。
日本人は普請に対してぜいたくである。恐らく世界で一番口うるさい 人極であろう。だがそれは、スギやヒノキ、キリのように軽くて美しい 良材をふんだんに使うことができたおかげであった。しかも柾目だけを 使う習慣が身についてしまったが、それは魚にたとえれば、高級魚のサ シミになるところしか使わない、ということである。木材資源の乏しく なった現在では、深く反省を要することだと思う。
寝殿造りにしても、書院造りにしても、またそれから発展した数寄屋 造りにしても、なぜこのような形の住まいが日本に定着したかというと、 自然との交渉が深かったためである。気候が温暖で夏の暑さも冬の寒さ もそれほどでなく、むしろ自然のよさを暮らしに利用したほうが有利だ からであった。住まいの型がこのように落ち着いてくると、軒先、縁側 という自然との接触の場所はますます重要な役割を果たすようになり、 情緒的にも自然への関心が強くなっていった。
ここで和室によって代表される木質空間の美しさが生まれて来た経 緯を書いておこう。古代におけるヒノキの使い方は、柾目を正しいもの としていた。その端正な質感は、さらに構造的な合理性に裏付けされて、 やがて古典的な日本様式ができあがっていった。
建物の強度計算がまだ明確でなかった江戸時代以前においては、地震 や強風に耐える造り方を、経験によって生み出していかなければならな かった。そうした木匠たちの不断の努力は、柱、梁、垂木を無駄なく使 い、しかも美しく組み合わせていく工夫と結びつくことになったが、そ れには用材の寸法の基準をきめる必要があった。その用と美が結びつい た技術は、江戸末期に到って「木割り」として完成されたのである。つ まりデザイン上からも構造上からも最も適当な大きさを決めていく、と いった技法が生まれたのである。
室町時代の初期は、すでに成立していた寝殿造りが簡略化されて、書 院造りが生まれたときであった。その書院造りの初期のものに京都銀閣 寺の東求堂がある。これは足利義政の東山殿における代表的な建物であ るが、ここではすでに「木割り」の理念が見事に生かされている。これ を基盤にして世界に誇る和風住宅のヒノキの造形美がつくり出されて いったのである。
こうした木構造の伝統技術から、やがて、柱の心心寸法を一定に割り つける「柱割り」が生まれた。そして次の段階では、畳の寸法を一定に する「畳割り」が生まれたのである。この方法によると、畳の敷き替え が自由なので、使い方に合わせて部屋のしつらえを変えるという生活の スタイルができあがった。
書院造りはやがて数寄屋造りへと発展することになるが、ここで注目 したいのは木の使い方に変化があったことである。それまではヒノキの 柾目が正当なものであったが、それに代わってスギやケヤキの板目が使 われるようになり、さらにスギ丸太が面皮柱として混じってくるように なる。また従来は雑木として見向きもされなかったクヌギやアベマキが、 桂離宮の松琴亭のように、皮付きのまま使われるという新しいデザイン も生まれてきたのである。
数寄とはもともと物ごとに執着する「好き」に通ずるものであったか ら、「数寄」の美意識がそうさせたのであろう。建物の室内構成はそこ を使う人の心理や動作に大きな影響を与えるものである。そこからやが て日本的礼法が生まれ、茶道、華道に発展し、それによって座敷内の道 具飾りやその用法が定形化されていったのである。
西本願寺の黒書院は、柱、建具、欄間、天井などが京間畳によって割 り出された空間であるが、一分のスキもない磨ぎ澄まされた美しさは、 木の文化の緊張感の結晶といってよいものであろう。
ヨーロッパを旅行してしみじみ感ずることは、何ごとによらず大きく て重いものの多いことである。あちらの人間もしつっこくて重苦しい。 日本人と比べるとプロレスと角力の違いがある。プロレスはねちっこく てどろどろしているが、角力の勝負はあっさりとして奇麗である。彼ら のねちっこさは、脂っこい肉の料理や重くて厚い壁の家と密接な関係が あり、日本人の淡白さは、菜食や軽い木の家と関係があるのであろう。 ヨーロッパの家というと、小さい窓からやっと外光のさし込んで来る 陰気な部屋を思い出す。だからインテリアには鏡をべたべたと張って明 るくしているのである。それに比べ日本の住まいは軽やかで薄い。茶室 などはその代表だが、ひょいと持ちあげられるほどに目方の軽い家なの である。
軽さといえば何時も思い出すのはトイレの便座である。あちらのもの はどっしりとしていていかにも重い。スーパーの店頭に並んでいるもの でさえ、両手で支えないと持ちあがらないほどの目方である。日本の便 座のふたは紙のようで、持ちあげるとしなしなとたわむ。電気製品も設 備機器も同様である。あちらの水道の金具をみると、こんなに頑丈なも のが必要かと、首をかしげたくなるほどである。
日本の建物の中で一番重い感じのするのはお城であろう。その城すら もヨーロッパの城に比べればはるかに軽い。イギリスのロンドン塔は、 どろどろとしたあくどさの塊のような重い建物で、入口に立っただけで も心が暗くなる。落城の炎で跡形もなく焼け落ちる日本の城とは対照的 である。資源小国の日本はいかにも軽量文化の国で、ヨーロッパは重量 文化の国だとしみじみ思う。
だがしかし、日本の軽量文化は資源の不足のせいだけではないらしい。 昔から重い材料を使って物をつくるのが不得手であった。そのことは、 良質の石の産地でさえも、まだ石造りの家を一軒も建てたことがない、 という歴史をみても納得できることである。
重いものには不得手な日本人だが、軽いものになると、がぜん生彩を 帯びてくる。その中での傑作はふすまと障子であろう。いずれも小指一 本で動かせるほどの軽さである。おそらく世界で最も軽い建具といって よかろう。
屏風もまた紙でつくった傑作の一つである。たためば一人でどこへで も持ち運びのできる重さである。それを小形にして隙間風を防ぐ枕屏風 ができ、さらに縮まって茶道に使う風炉先屏風ができたが、これもまた 軽量文化の代表といってよかろう。体ごと押しつけないと開かないヨー ロッパの重いドアとは、全く異質なものだが、それはやはり風土と切り 離して考えたのでは意味がない。
*木質空間の美しさ(集成材を使って栗山正成氏設計)