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日本人と木の文化

木の魅力と日本の住まい

7.バスとトイレ

考えてみると私たちは、白木の住まいの中で暮らしている間に、身近な対象を、硬いタッチよりも軟らかいタッチでとらえる習慣が身についてしまったようである。その例を私は「家庭」と「人間」という言葉で説明したい。ヨーロッパの住まいと日本の住まいを比べたとき、一番大きなちがいを感ずるのは、インテリアとエクステリアのつながり方であることは前にも述べた。つまり日本では軒先や縁側というどっちつかずの空間があって、インテリアとエクステリアの輪郭線がぼけているのである。家庭という言葉はそういうイメージを背景にして生まれて来た言葉のように思う。その意味は家庭を直訳して、ハウスとガーデンから生まれたと考えたらナンセンスである。なぜならガーデンとはヨーロッパの宮殿のように、見渡す限りの広大な自分の敷地を指すものであるから、日本の庭とはまったくちがう。家庭の「庭」とは、家のまわりの軒先や縁側のような薄い空気層の意味であろう。とすれば家庭とは、まことに日本的な住まい方を背景にして生まれた言葉といってよい。
 おなじことは人間という言葉にもあてはまる。人間とは人と人との間の空気までを含んだ概念である。中国には人体という言葉はあるが、人間という概念にあてはまる言葉はないそうである。人体はボディそのものだから輪郭が明瞭だが、人間のほうはそのまわりになにほどかの空気層がまつわっているから、輪郭が漠然としている。これは明治のはじめにつくられた言葉だというが、いかにも日本的だと思う。こうした言葉が生まれたということは、日本人は烏口で書いた線よりも、鉛筆や筆で書いた線のほうが好きらしいということである。それが家庭の「庭」であり、人間の「間」である。材料と思考方式、そのどちらが先であるかは私には分からないが、これは興味あることだと思う。
 ところでおなじ木の中でも、広葉樹の材質感は金属に近いが、針葉樹の材質感はそれよりもずっとソフトである。つるつるに塗った広葉樹の材面は平板的で、いかにも金属を思わせるが、ヒノキの木肌は絵絹のようなうるおいを持ち、輪郭線のボケによる奥行き感がある。ヒノキをヤリガンナで削るということは、この特質をいっそう効果的にする手法にほかならない。西岡棟梁の木の使い方の話は、そのように考えてくるとよく理解できる。
 木の住まいと石の住まいに住んでいると、ものの見方、考え方にも違いが出てくる。木綿と木に囲まれて育った私たちは、カエルが水に跳び込むのを見ると、直感的に「古池や」を詠むが、石の家に住むヨーロッパ人は、流体力学を考える。彼らはリンゴが落ちるのを見ると「万有引力」を思いつくが、私たちは「秋の暮れ」を連想する。詩人に対する科学者の発想の違いであろう。
 そうした考え方の違いは、住まいの設備のつくり方にもあらわれてくる。その代表的な例は、風呂場と厠であろう。
 ヨーロッパ人はインテリアをつくるとき、まず人間を生物としてつかまえるところからはじめる。生物は食事をし、排泄をする。セックスもある。それに真正面からぶつかって分析し、物理量としてとらえ、理詰めで解決していこうとする。
 ところが日本ではそうではない。人間を精神的な存在として受け取り、全体としてつかまえようとする。だから解決のしかたが違ったものになる。いま排泄を取りあげてみよう。彼らは汚物は水で洗って流してしまったほうが、よほど清潔ではないかと考える。一方日本では、この世を仮の住まいとしてとらえ、精神的な人間が、自然の中に適応して暮らしているのであるから、排泄は意識の外にある。だから設備をつくろうとはしない。適当に川へ行って、ストンと落とせば、なんとかなるじゃないか、と考える。そこにいわゆるかわや的発想法が出てくるのである。お風呂も同様である。西洋のバスは人間クリーニングの発想から生まれている。浴漕の水が汚なくなった分だけ、からだのほうはきれいになるという考え方である。だからバスと洗濯機との違いは、モーターの代わりに手が動いているだけの差でしかない。洗濯機には窓はいらない。そしてトイレも、洗面所も、同じ空間の中におさめてしまったほうが合理的ではないか、というように、どこまでも物理的に割り切って考える。 ところが日本人の入浴観は根本的にそれとは違う。風月揚は哲学的冥想の境地なのである。精神的な人間は入っているけれども、生物が入っているわけではない。だから窓をあけて、松の枝越しに月を賞で、手ぬぐいを頭にのせてナニワ節をうなるという構図になる。銭湯では窓がなくて外の景色が見えないから、その代わりにペンキで富士山を描いている。これは日本独特の芸術的空間の追求である。
 谷崎潤一郎氏は『陰翳礼讃』の中で、和風住宅の厠こそが最高に精神の安まるところだという。ヨーロツパ風のトイレは清潔かも知れないが、人間的ではない。便器でさえも木製がよいと書いている。理屈だけでは割り切れないのが住まいだが、木という材料はその点をバランスよく解決してくれる。
 ヨーロッパではまず人間を生物としてとらえ、それを原点にして理詰めでインテリアをつくった。それからエクステリア、それからコミュニティ、さらに都市、というように、遠心的に住環境を外へ向けて発達させていったのである。それが明治のはじめに日本に輸入されたわけであるが、そのとき建物の外箱だけが取り入れられて、インテリアは抜け落ちてしまった。
 このことについて神代雄一郎氏は、その著書『インテリア』の中で次のような見解を述べている。
 「外部鉄筋コンクリート造、内部木造和風といったこの二重の奇形住宅が、しかし日本住宅建築への鉄筋コンクリートの入ってきかたではなかっただろうか。つまり、鉄筋コンクリート造の住宅は、インテリアを完全に落として日本に輸入されたのではないだろうか」
 日本の家というのは、ヨーロッパでいうインテリアの外側に、直接雨の降りかかっているものと同じではないかという意味である。

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