家は気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産物だから、土地と切り離して考えたのでは意味がない。ということは、ヨーロッパの家がどんなに立派でも、日本という風土のなかにそのまま移したのでは合わないし、和風の家がいかに美しくても、ヨーロッパに建てたのでは、住みにくいということである。日本は雨が多いから、家は屋根の大きいのが特徴で、すっぽりと笠をかむったような形をしている。仏教伝来とともに歴史の始まった日本は、何事も中国の真似をしたが、土間で履き物のまま慕らす生活だけは取り入れなかった。地面から一段高いところに板を張り、そこで生活するようになった。そしてこの板の間を四方に延ばして縁にした。縁とは家の「へり」の意味だが、そこには雨がかかるから、縁先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらにその先に濡れ縁をつくったのである。
軒は深いからなるべく軽くつくらねばならない。そこで小丸太や竹を使って重みを減らした。つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があって、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁があるというスタイルができあがったのである。中心の座敷は人間がすわる静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場ということであるから、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というように、中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられていることになる。
座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまだから、夏になってそれをはずすと、風は自由に通り抜ける。日本のように夏の蒸し暑い国ではこれが何よりで、畳の上をすべって吹き込む風は天然冷房の効用がある。高い窓から入ってくる風ではその効果はない。伝統の和風住宅では、ふすまと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残る。この構造は通風を考えてできた生活の知恵である。「住まいは夏を旨とすべし」という兼好法師の有名な言葉があるが、風通しのよさからいえば、これ以上都合のよいつくり方はない。京都の町屋では間口が狭く、奥行きが深く、左右は隣家とくっついているから、風はいやおうなしに家を縦断する。つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいように、部屋と部屋とのつながりには壁がない。このように風の吹き抜けに合わせてつくられた家は、世界的にみてもその例が少ない。 伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定していない。ただ八畳とか六畳とかいった四角な部屋をタテヨコにつないで、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものであった。部屋の中での立ち居ふるまいは全く自由で、どこにすわろうとねそべろうと勝手次第である。
部屋ごとのプライバシーなどは全くないが、そういう住まい方が出来たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからである。それから日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせる原因になった。部屋には定員がないが「ご順にお詰めを願います」という無言のルールで、混乱はおきなかった。融通無碍に対応する柔らかい住まい方が、おのずから身についていたのである。 一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んで、その内側に部屋を並べ、中心部に動的な廊下やホールをおいた。内から外に向かって、動から静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼかし模様である。
厚い煉瓦壁の家は何百年でももつから、彼らはこれを「不動産」と呼んだ。日本の家は木造だから腐るし燃える。全体が消耗品的なつくりで、耐久性では比較にならないほど短い。だが西洋からの翻訳でこれを同じように不動産と呼び、何の疑問も持たなかったところがいかにも日本的である。
彼らの暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、さまざまな道具を使う。日本式のノーファニチャとは対照的である。要所要所に道具をおいて部屋の用途を限定すれば、生活は快適なはずだが、好きなところへ自分の居場所を移すには、家具を移動させねばならず、ときにはそれが足手まといになることもある。 厚いレンガで囲まれた部屋には空気抜きが必要だから、壁に穴をあけた。その風穴がウインドウである。日本の「マド」というのは、二本の木の柱の間が「マ」そこに入れた薄い建具が「ト」で、それから出てきた言葉だから、全面開放を意味し、ウィンドウとは本質的に違うものなのである。
*桂離宮は伝統的な木造建築の粋である。