日本の家とヨーロッパの家のいちばん大きな違いは、室内と戸外とのつながり方にある。私たちの住まいは、植物も動物も人間も、もとは同じ根から出た自然のなかの仮の姿で、この世を「終の棲み家」とする人生観のうえに立ってつくられてきた。だから自然の中に溶けこんで、細い木の柱を立て、障子をはめ、縁側をまわす、という形が基本になっている。障子をあければ自然があって、戸外の緑と室内はひとりでにつながっている。庭は借景でことが足りるし、虫も鳥も家の中に入って来るのを拒まない。山も森も、さらには月でさえも、全体は一つのものだという哲学が基盤になっているわけである。
一方ヨーロッパでは、人間は自然と対立するもので、自然を克服するところに、芸術も文化も生まれると考えた。だから住まいは石やレンガの厚い壁で囲まれているし、重い扉は空気さえも遮断している。インテリアとエクステリアは画然と区切られていて、都市はそのまわりをがんじょうな城壁で囲まなければならなかったのである。
日本のインテリアの特徴は、柱、障子、畳、天井に生物材料を使い、それを白木のテクスチェアで統一しているところにある。人間はもともと生物だから、からだに接するところに生物をおくのがいちばん素直だし、心も休まる。生物材料で囲まれたインテリアは、自然と人工とが組み合わされた空間だから、日本人にとってヒノキやスギの白木の肌は、戸外の緑と同じ意味あいを持っていた。
私は木が好まれたもう一つの理由に、仏教の無常観があったことをあげてよいと思う。われわれの祖先は自然も社会も常に移り変わるものと悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生き方であった。ヨーロッパでは神の宮居はアテネの神殿のように、永遠にその形を残すものでなければならなかったが、日本では伊勢神宮のように、やがて朽ちていく木でもよかった。
ヨーロッパ的な見方からすれば、二十年ごとに造り換えられる神殿は、原形ではなくコピーだから、価値の低いものと考えるが、日本では芸術も文化も心の中にあると考えるから、形が伝われば価値は変わらないと思う。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと知っているから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、心を惹かれたのである。木は仏教の無常観に通ずる恰好の材料であった。
以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」「金の文化」に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。だからこそ建物の材料には木のような生物材料が選ばれたに違いない。そして同じ木の使い方でも、自然のままの白木の素肌に心の安らぎを覚えたのであった。ヒノキやスギに触れて暮らす生活は、そうした長い伝統によって生まれたのである。
ヨーロッパでも最近は、コンクリート住宅よりも煉瓦の住宅に人気が戻っているという。イギリスでは特にその傾向が強いらしい。やはりその風土で生まれ、長い伝統でつちかわれたものに帰って行くのが、一番自然の流れであろう。
私たちは木を使っている間に、そうした日本人らしい考え方が身について来たのか、もともと日本人がそういう民族だったために木を好むようになったのか、それは私にはわからない。だがいずれにしても互いに影響し合いながら、独特の「木の文化」をつくりあげてきたことは事実であろう。
*伊勢神宮内宮、手前が旧殿、向こう側が新殿(昭和48年10月撮影)