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日本人と木の文化

木の魅力と日本の住まい

3.木肌の魅力と木用貧乏

お菓子の折箱を前にするたびに思うことだが、ヨウカンをスギの箱に入れると、一段とおいしく感ずるのは不思議である。プラスチックとチョコレートとはしっくりするが、ヨウカンはどうも肌が合わないらしい。寿司についても同じことがいえる。にぎりはヒノキの一枚板の上で食わないとうまくないが、寿司屋のおやじさんは、あの白い木肌を美しく保つために、毎日たいへんな苦労をしている。デコラの板の上で食ってくれたら大いに助かるのだが、それではお客が承知しない。これも自然の木肌のもつ神秘性のゆえんである。ビフテキの肉はステンレスの上で切るが、サシミはヒノキのまな板でなくては駄目である。ビフテキとサシミの味の距離は、金属と木材、そしてまた西洋と日本との違いといってよい。
 建物をつくるとき、設計者はたいへんこまかい神経を使って材料を選ぶ。タイルの色の濃い淡いや、ちょっとした汚れで、職人さんはけっこう泣かされる。ところが、いったん建物ができあがると、正面の入口には、ヒノキの一枚板を削って、墨太に「○○省」などと書いた看板をかける。一雨降ればすぐに汚れることはわかっているのに、白木の汚れは一向に気にならない。むしろそれによって、風格がつくという日本的な安心感が得られるらしい。これも木肌のもつ神秘性であろう。 看板に木を使うのは値段が安いためではない。先ごろ農林省が農林水産省と名称を変えたとき、当時の大臣が看板を書いた記事が新聞に出ていた。そこに書かれていた値段から単位容積当たりで計算すると、木曾ヒノキと一番高価なヨウカンは同じ値段になった。それだけの予算を使うなら、どんな材料の看板でも選ぶことができるのに、わざわざ木で作るところが、いかにも日本的だと思う。
 風呂についても同じことがいえる。白木の風呂は衛生的にはポリバスに劣り、値段もずっと高いのに、なんとなくヒノキの香りが忘れられないのである。古里を思い出させるにおいだからであろう。 キリのタンスにキリの下駄もまた同じである。お嫁入りにはなんとしてもキリのタンスを持参したいというのがこれまでの風習だが、これも実用性よりもあの白木の肌に対する郷愁が最大の魅力らしい。というのは、キリの材質に関するこれまでの物理試験の結果からは、耐湿性にしても防火性にしても、あのような高い評価の裏付けをするデータは出てこないからである。水害のとき水に漬かったタンスの着物が濡れなかった話や、火事に遭って燃えなかったキリのタンスの話をよく開くが、どうも神話になり過ぎたきらいがある。実際のところは、あの温か味のある木肌が、人をひきつける魅力になっていると解釈したほうが妥当らしい。
 キリの下駄についても同様である。白タビをはくクラスの人は別として、素足ではくわれわれには、一度で足の脂がしみこんで始末が悪いのに、足の裏のしっとりとした味わいがなんともいえない、などという。 楽器では、話がもう一つ神秘的になる。バイオリンにしても琴にしても、科学技術が長足の進歩をした今日でも、木を使った古い伝統の製作技法は、いささかの改良案も寄せつけない。弦楽器の響き板には、いまのところ木に代わる材料は見当たらないし、それも天然の木の中からよいものを選び出すよりほかに方法がないという。このように考えてくると、木は実は最も高級な神秘性をもつ材料といってよい。いま見直されようとしている理由はそのためである。
 われわれは木の香も新しい白木の肌を好むだけではない。時が経てばやがて灰色にくすんで来る木肌を、こんどは「さび」といった独特の世界観の対象にして、別な立場から愛でている。さらにまた、木肌の魅力を生かすわざとセンス、加うるにノミの冴えによって、美意識は一屑高められることになる。だからわが国では、木は単なる材料というよりも、銘木のように美術品として取り扱われることが多い。一般の用材の中にもそうした考え方が入ってくるから、日本人の木に対する評価は理性よりも感情が優先するのである。
 その一例に木材規格がある。一等材は二等材より特に強いわけではないし、腐りにくいのでもない。ただ表層の見てくれが少しばかり美しいか、美しくないかだけの差にすぎない。それなのに価格はべらぼうに違う。こういう評価のしかたは合理性に欠けていて、工業材料という立場からみると、たいへんおかしいのだが、木についてはそれが当たり前のこととして通っている。つまり木材は工業材料ではなくて、工芸材料であり、ある場合には芸術材料ですらある。
 木の一番大きな特徴は、木目があるということであろう。気候に寒暖の差がある地帯に生える樹木には、一年ごとに年輪ができる。年輪の幅は、樹齢、土壌、気温、湿度、日照などの記録であるから、年輪にはその年の樹木の歴史が刻みこまれる。
 高温多雨の条件に恵まれた熱帯地方の樹木は年輪をつくらない。年中生長をつづけることができるからである。しかし乾季と雨季の交代のはげしいところでは年輪ができる。樹木はまた偽年輪をつくることもある。生長期に洪水や旱天に見舞われたり、葉を害虫に食われたりすると生長が止まり、回復すると再び生長を続けるので、一年に二つの年輪ができることがある。つまり木目は幾星霜の風雪に耐えた木の履歴書なのである。
 人間にもまた年輪がある。それは精神の中に刻み込まれるから、樹木の年輪のように定かではないが、その人の経験と生きる努力の中から生まれるものである。だからわれわれは木の年輪の複雑な文様の中に、自然と人間との対話を感じ取る。それが木肌の魅力の最大のものといえよう。したがって木は人によって生かされ、人によって使いこまれたとき、本当の美しさがにじみ出てくるのである。
 私たちは物をつくるとき、構造とか技法とかを考える前に、材料の選択に大きなエネルギーを使う。それができあがりの美しさを決定的なものにするからである。だが、西洋の美学ではそういう考え方はしない。どんな材料でも意志と知性と美意識をもってやれば、人間は立派な美術品をつくることができると信じている。こうしてみると、日本人の精神構造とその美意識、さらにまた自然観は、木ときわめて密接な関係をもっていることが分かってくる。
 そうした素質をもつ日本人だから、木の利用に当たってもその発想は違ってくる。木を手にしてまず気になるのは美しいかどうかということである。工芸的な判断がさきに立つから、以下に述べるように、工業材料としての冷静な対策が出てこない。「器用貧乏」ではなくて「木用貧乏」なのである。
 木を取り扱う者にとっていちばん困るのは、狂うということである。それを防ぐには繊維と直角方向の伸び縮みを押さえればよい。それには薄く剥いで木目を交互に直角にして貼り合わせるのがよい。こうして生まれたのが合板であった。だが木をもっと小さな鉋くずに削って接着剤で固めれば、狂いはいっそう小さくなる。パーティクルボードの生まれたのはそうした理由からである。それでも厚さ方向の狂いを防ぐことはできない。これは繊維をばらばらにほぐしてもう一度固めれば、改良することができる。これがハードボードである。こういう考え方は木を工業材料として取り扱う立場に立てば、自然に出てくる発想のプロセスである。ところがわれわれはそういう理詰めの取り扱いは苦手であった。だから戦後輸入されたパーティクルボードを見たとき、まず第一に心を引かれたのは表面の文様の面白さであった。
 この材料はもともとドイツで、狂わない芯材としてつくられたものであった。だからあちらの見方からすれば、表面に化粧板を貼って使うのが当たり前である。ところが日本では表面の木片の交錯文様にほれ込んでしまったから、そのまま使うことを考えた。あちら流に考えればパーティクルボードは服装の下着に当たり、化粧板が上着に相当するから、この日本的な使い方は、ステテコ姿で町の中を歩くのと同じ滑稽さである。だが日本ではそれなりの使い方が一時流行して、日本向き文様のパーティクルボードがつくられたりした。最近ではそんな使い方は少なくなったが、日本人の木に対する考え方を知るうえで、面白い例であるから紹介した。*白木の魅力あふれるヒノキの曲げ物*年輪は木の履歴書である。樹齢2,000年の屋久杉では,徳川時代の年輪の幅は僅かに10センチ,明治から昭和までは2センチしかない

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