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--樹 高6m、幹 周6.5m。江戸初期の土佐藩家老野中兼山が承応元年(1652)11月、八丈島から移植したと言われ、強風のため成長が悪かったが、兼山は土地の人々に保護・育成の必要性を説き、保護し現在にいたっている。