つるぎじんじゃ
解説板には次のように記されています。
福岡県指定天然記念物
八劔神社の大イチョウ
所在地 福岡県遠賀郡水巻町立屋敷三丁目 三番三〇号
所有者 宗教法人八劔神社
法量 樹高22.26メートル、幹周囲9.7メートル、推定樹齢約1900余年
指定年月日 昭和五三年(1978) 三月二五日
伝説・由来
イチョウは二億数千年前に出現し、最盛期には一五種類もありました。気候の変動などでほとんどが絶滅してしまい、現在ではアジア地域に一種類しか自生していません。八劔神社の大イチョウは雄株の古木で、
神社の由緒には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)征伐の時に立屋敷に立ち寄り、讒言(ざんげん)により都からこの地に逃れてきた砧姫(きぬたひめ)という娘と結ばれて、その証として植えられたものとして記されています。
江戸時代の地誌 『筑前國續風土記拾遺(ちくぜんのくにしょくふ ど きしゅうい)』に巨木として記され、その後、明治四五年(1912)、境内の東側に東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)の筆による「霊樹碑(れいじゅひ)」が建てられました。さらに、大正三年(1914)の『大日本老樹名木誌』には、「日本武尊御手植ノ公孫樹」として紹介されています。
ところで、慶長六年(1601)、この周辺の砧姫墓といわれる小山から鏡などの出土品がみつかり、鏡はその傍らにお堂を作って祭ったということです。
イチョウの枝には、気根と呼ばれるこぶがあり、母の乳房に似ている ことから、皮を煎じた汁を飲むと母乳の出がよくなると伝えられ、昭和三〇年代までは母娘連れの参拝者も多く、お礼参りの煎じかすを収めた袋が近くに吊り下げられていました。
一方、近年イチョウの遺伝学的な研究によって、同じ遺伝子をもつものが、韓国慶尚北道亀尾市や島根県大田市などに所在することがわか (平成一六年段階)、いずれも推定樹齢六〇〇年以上といわれています。イチョウがいつごろ中国や朝鮮半島から日本に伝来したのかは諸説がありますが、その手がかりとなるもので興味深いものです。
※東久世通禧(一八三四~一九三) 江戸時代末期・明治時代初期の公卿、政治家。元老院、枢密院の各副議長を務めました。
水巻町教育委員会
2024年10月25日 中川勝弘撮影
北九州市役所 から1.7km、車で5分