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- ID:
- 41177
- 年:
- 2018
- 月日:
- 0401
- 見出し:
- )木製戦闘機、フォーラムで詳細が明らかに
- 新聞名:
- 朝日新聞社
- 元UR(アドレス):
- https://www.asahi.com/articles/ASL3N0SX6L3MOHGB011.html
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
「飛驒の匠(たくみ)」には木製の戦闘機を造った歴史がある。
ところが、機体も設計図も写真すらも残されていない。
そんな中、その歴史をテーマに開かれたフォーラムに、太平洋戦争中の同じころに岐阜県高山市で造られた木製グライダーの写真が持ち込まれた。
フォーラムに参加していた同市の家具メーカ
ー・飛驒産業の本母(ほのぶ)雅博専務は「写真の場所は当社で、当社が中心となって進めた戦闘機造りの現場を示す初の写真。
貴重な歴史の証言だ」と話した。
木製戦闘機に関する一切が消えたのは軍の命令とされる。
同市の田中彰・市史編纂(へんさん)員によると、1945年8月の終戦後すぐ、市内の宮川の河原で、残っていた材料や書類が焼かれた。
米軍に対する機密保持のためだったという。
本母さんによると、木製戦闘機の基になったのは「疾風(はやて)・キ84」と呼ばれた陸軍の四式戦闘機。
44年4月から量産され、終戦までに約3500機が南方などに飛んだが、現存は鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館にある1機だけ。
「キ106」と呼ばれた木製戦闘機に関する資料は、飛驒産業
の技術者・小島班司さん(故人)が残したメモなどしか残っていないという
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