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- ID:
- 37088
- 年:
- 2016
- 月日:
- 1214
- 見出し:
- こま作り職人 隈本知伸さん(57) 福岡県八女市の「独楽工房 隈本木工所」
- 新聞名:
- 西日本新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.nishinippon.co.jp/feature/kodomo_reporter/article/295659
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
●こどもたちの笑顔 思い浮かべて 伝統受け継ぐ6代目 「昔のおもちゃで遊んでほしい」
あと2週間あまりでお正月。
お正月の昔ながらの遊びの一つが、こま回しです。
福岡(ふくおか)県八女(やめ)市でこま作りを続ける「独楽工房(こまこうぼう) 隈本(くまもと)木工所」の職人(しょくにん)、隈本知伸(とものぶ)さん(57)をこども記者2人が訪(たず)ね、取材しました。
【紙面PDF】おしごと拝見=こま作り職人 隈本知伸さん
■九州では2カ所だけ
福岡市・天神(てんじん)の西日本新聞社から車で約1時間。
「隈本コマ」として、こまなどを作る隈本木工所は、八女市の住宅街(じゅうたくがい)にあった。
木造(もくぞう)の家のような店に入ると、「すぐに木のにおいがただよってきた。
こまだけでなく、けん玉などのたくさんの遊び道具が目に飛びこんできた」(斎藤愛(さいとうまな)記者)。
隈本さんは、おだやかな笑顔で迎(むか)えてくれた。
隈本さんによると、現在(げんざい)、趣味(しゅみ)ではなく仕事としてこまを作っている所は、九州で2カ所だけ。
この木工所以外では長崎(ながさき)県佐世保(させぼ)市にあるという。
「昔と違(ちが)ってこまを必要とする人が減(へ)って、こまを作る人も少なくなり、材料も手に入りにくくなっているそうだ」(浜野
祥喜(はまのさき)記者)
■楽しく絵付け体験も
隈本木工所は100年以上続いていて、隈本さんは6代目。
かつては年間に20万個(こ)以上のこまを作っていたが、今は1、2万個くらいだという。
それでも、こま作りの伝統(でんとう)を受け継(つ)いでいくために、積み木やけん玉などの木工のおもちゃも作り、インターネットで販売(はんばい)しているそうだ
店の隣(となり)にこまなどを作る工場があった。
この日、木を削(けず)る作業はしていなかったが、色付けはしていた。
隈本さんと妻(つま)のさゆりさん(58)が、こまの形に削られた木を電動ろくろで回し、筆で赤、青、黄、緑の4色をぬる手本を見せてくれた。
隈本さんに「やってごらん」と促(うなが)されて体験した斎藤記者は「筆をこまにつけると、色がすべるようについた。
思ったより簡単(かんたん)で、とてもおもしろかった」と
喜んだ。
浜野記者も上手に色付けができた。
■思いやりのある子に
八女のこまの特徴(とくちょう)は何だろう。
2人が聞くと、隈本さんは「(上から見たとき)こまの中央にへそ(と呼(よ)ばれる突起(とっき))があるところ」と教えてくれた。
「こまは誰(だれ)が発明したんですか」と質問(しつもん)すると、隈本さんは八女に伝わった二つの説を話してくれた。
一つ目は、約千年前、菅原道真(すがわらのみちざね)公が大宰府(だざいふ)に左遷(させん)された時に京(きょう)から持ってきたという説。
もう一つは、朝鮮(ちょうせん)半島から長崎の平
戸(ひらど)をへて八女に伝わったという説だ
浜野記者が「どんな気持ちで作っているのですか」と聞くと、隈本さんは「みんなが笑顔で回している姿(すがた)を思い浮(う)かべながら作っています」と答えた。
そして「こまに限(かぎ)らず昔のおもちゃで遊んでほしいです。
仲良く大人数で家の外で遊ぶことで、思いやりや優(やさ)しさがある子どもになってほし
いですね」と付け加えた。
●幸せの願いこめて 材料は「われづらい」マテガシ
こまは、くるくると回る。
だから、昔から「福が回ってくるように」「人生が円満に回るように」などという願いがこめられているそうだ。
隈本(くまもと)木工所では、こまの材料の木にはマテガシを使っているという。
「マテガシはかたくて重く、ねばりがあり、われづらいそうだ」(浜野(はまの)記者)
隈本さんは、こども記者2人が自分で色付けした「世界に一つだけのこま」を記念にプレゼントしてくれた。
最初は回せなかった斎藤(さいとう)記者も、家に持ち帰って回せるようになり、「お気に入りのおもちゃになった。
音をよく聞いてみると『カツン、カラカラ』というおもしろい音がする」と気付いた。
隈本さんの妻(つま)のさゆりさんは「ゲームよりこまができる方がかっこいい、と言ってくれる子もいるので、こま作りを続ける努力をしていきたいですね」と、やさしく話していた。
●わキャッタ!メモ
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