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- ID:
- 35787
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0628
- 見出し:
- けん玉発祥地・広島県廿日市市 市木材利用センター 伝統の職人技伝える /中国
- 新聞名:
- 毎日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://mainichi.jp/articles/20160628/ddl/k32/040/584000c
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
木材利用センターが製造する飾りけん玉=広島県廿日市市提供
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製造見学や教室開催
細かく調整しながらけん玉のけんを削る鍋谷一也さん=広島県廿日市市木材港北の市木材利用センターで、東久保逸夫撮影
日本人になじみの深いけん玉。
パフォーマンスを取り入れた海外のKENDAMAブームもあり、国内でも再び注目されている。
そのけん玉の発祥の地が、広島県廿日市市だということを知っているだろうか。
現在、国内で流通するけん玉のほとんどが海外での大量生産だが、廿日市市木材利用センターは発
祥地の誇りとして、昔ながらの職人技にこだわる。
けん玉製造の見学やけん玉教室などがあり、大人から子どもまで楽しめる場所だ。
【東久保逸夫】
四角い木材が機械に固定され、回転している。
職人が刃を当てると、削られて見る見るうちに見覚えのある丸い形に姿が変わった。
ムラなく色を塗っていく塗装技術にも目を奪われる。
海外で大量生産されるけん玉は、パソコンに設計図を入力し、機械に自動製造させるのが主流だ。
一方、センターは全ての工程に職人が関わる。
完成したけん玉を手に取り、じっくりとながめる西村保宣さん=広島県廿日市市木材港北の市木材利用センターで、東久保逸夫撮影
廿日市市とけん玉のつながりは大正時代にさかのぼる。
1918年、広島県呉市の職人、江草濱次氏がけん玉の原型を考案し、三日月型に浅く彫った皿と真っ赤なボールから「日月ボール」と名付けられた。
江草氏はその後、木材加工技術の優れた廿日市市の木材会社に製造を依頼し、量産化されて全
国に流通していった。
ブームの絶頂だった70年代は年間40万個を製造し、国内生産量の7割を占めたという。
だが、国産材が高騰し、市内に10軒近くあった製造会社が相次いで廃業に追い込まれていく。
98年、最後の製造会社「共栄玩具」も店を畳み、製造現場が市内から姿を消した。
塗装工程では、ボールの色が均等になるよう丁寧にヘラで色づけをする=広島県廿日市市木材港北の市木材利用センターで、東久保逸夫撮影
ここで地元が立ち上がった。
「けん玉の伝統を途絶えさせてはいけない」と、観光協会、商工会議所、市の3者が共栄玩具のけん玉職人、西村保宣さん(78)に協力を求めた。
西村さんは「けん玉の伝統を残したかった」と快諾。
店の機材を買い戻し、2001年、市木材利用センターで製造を再開した。
西村
さんは今もセンターでけん玉を作り続ける。
西村さんは今回のブーム再来を好機と捉え、「子どもの集中力向上や、お年寄りの認知症予防まで用途が広がってきている」と希望を持つ。
けん玉教室には家族連れの姿も目立ち、「みんなに愛されるけん玉をひたむきに作っていきたい」と話す
イラストを描いた「飾りけん玉」の製造を始め、「たこ焼きけん玉」などユニークな装飾が人気だ。
注文があれば、オリジナルのけん玉を作っている。
5年前、製造技術を受け継ごうと、市内の木工店で働く鍋谷一也さん(55)が西村さんに弟子入りした。
木材加工に使う機械や刃物は、共栄玩具が他との競争の中で独自改良したものだ。
「早く一人前になって、西村さんを安心させたい」と、日々、技術を学ぶ。
鍋谷さんは「昔ながらのやり方で、丹念に作っ
ている現場を見に来てほしい」と語った
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