v11.0
- ID:
- 35206
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0401
- 見出し:
- //表現者としてダメですか?ストイックに生を求める彫刻家の本音
- 新聞名:
- CINRA.NET
- 元UR(アドレス):
- http://www.cinra.net/interview/201604-nanakarageayano
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
インタビュー・テキスト 島貫泰介 撮影:田中一人 編集:佐々木鋼平
ART/DESIGN
七搦綾乃
資生堂ギャラリー
shiseido art egg
2016/04/01
今年の『第10回shiseido art
egg』最後の展示を飾る、七搦綾乃は彫刻家である。
映像インスタレーションやネットアートなど、多様化する現代アートの潮流にあって、彼女の作品と制作姿勢はとてもクラシックなものに見える。
素材である木にじっと向き合い、朽ちていく植物をモチーフとした繊細な木彫を彫り上げていく。
そのストイックさや洗
練は誰もが目を見張る高度なものだが、一方で、急激なスピードで変化する現在のアートシーンから、取り残されてしまう可能性もある。
だが、そういう時代だからこそ、「簡単にわかってもらっては困るくらい、自分自身の問題として作っている」と本人が言う、七搦の作品にまなざしを向けてほしい。
その内にある陰りを、訴えを、そして意志を。
それは「RT」や「シェア」や「いいね!」でインスタントに回収されるようなものではなく、人間存在の根源にある
普遍的な「なにか」なのだから
「木の生き物っぽさ」を生かして、作り手の意志だけじゃないものが作れるのがとてもいい
―七搦さん、ご出身は鹿児島だそうですね
七搦:鹿児島の大隅半島と薩摩半島の湾のちょうど真ん中にある、小さな町で育ちました。
茶畑ばっかりある田舎です
―そして広島市立大学芸術学部に進学して、彫刻を専攻された。
七搦:はい
資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景
―日本のアート業界やマーケットはとても小さいので、東京や京都以外の芸術系大学に進学するのは少し勇気のいる選択とも言えますね
七搦:たしかにそうですね(苦笑)
―彫刻で勢いのある大学というと、京都市立芸術大学が有名で、卒業生の中原浩大さんや金氏徹平さんは、いろんな素材を使って彫刻を拡張するような活動をされています。
その影響もあってか、学生や若い彫刻家たちには、映像やインスタレーションなどに彫刻の要素を見いだす人が多いですよね
七搦:私の勤めている大学でも、そういう傾向が強くなってきていると思います
―そんな状況のなか、七搦さんはとてもストイックな作風に感じます。
初期の作品を見せていただくと、少女の像とか可愛らしい印象のものが多いですが、近年は枯れて朽ちかけた植物や果物をモチーフにしたり、山嶺のような抽象的なかたちへと変化されていますね
資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景
資生堂ギャラリー展示風景
七搦:自分でも理由を考えているのですが……。
木を使っているのは、「自分が入っていけない領域がある」からだと思います。
作家がすべてコントロールできない部分、ヒビだったり、変色だったり、節が出てきてどうしても加工できないところがある。
そういう「木の生き物っぽさ」を生かして、作り手の意志だけじゃな
いものが作れるのがとてもいい。
そんな魅力から離れられない、というのが一番大きい理由だと思います
―木から離れられない理由、「生き物っぽさ」について、もう少し聞いてもいいですか?
七搦:たとえばバナナの茎を組み合わせた、大きな作品があるのですが、制作中にそのうちの一本が折れてしまったんですよ。
それはまったく予期しなかったことで、作品全体のバランスが失われるなら、最初から作り直す人も多いと思うんですけど、私はその折れた部分をどう生かそうか、っていう方向に考え
るんです。
そのかたちも含めて、自然淘汰の一部のように捉えています
七搦綾乃
七搦綾乃
―それは、木を彫っていく過程、木と対話していくことに関心があるからですか?
七搦:仕上げも手を入れすぎないようにしていて、生々しい部分、「自分が入ってはいけない領域」を残したいと思っています。
それが木の生き物らしいところで、時間が経つと木目が濃くなったり、カツラなんかは彫ったそばからどんどん変色していくんです
―『shiseido art egg』の審査員評で、美術評論家の岡部あおみさんは「自然、とくにその時間と死」という言葉を使っていました。
そこで言われているような時間性と「木の生き物っぽさ」は、七搦さんのなかで密接につながっているんですね
七搦:そうだと思います。
彫刻家とは、存在感を「もの」で表せる人のことだと思っているんですけど、それは作り手が造形していくというよりは、素材のなかに眠っているものを引き出してあげる感覚に近いんです。
素材が体験してきた、あるいはしつつある「生」の時間がまずあって、そこから私の仕事がはじまる。
そ
fff: