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- ID:
- 33459
- 年:
- 2015
- 月日:
- 0709
- 見出し:
- 大正時代の戦闘機・木製プロペラ 「大刀洗平和記念館」に寄贈へ
- 新聞名:
- EICネット-
- 元UR(アドレス):
- http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/205993
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- 記事
-
唐津市の大森さん「平和祈る宝に」
旧日本陸軍の国産戦闘機として、最初期の大正時代に製造された「甲式四型戦闘機」の木製プロペラを唐津市神田の大森登至郎さん(75)が自宅に保管している。
現存する部品はほとんどなく、戦前の軍事史を知る上で貴重な資料。
「多くの人に見てもらうべきもの」と、近く大刀洗平和記念館(福岡県
筑前町)に寄贈する予定だ
プロペラはビワの木を削って造られたとみられ、長さ約250センチの2枚羽で、羽の幅は20センチほど。
「甲式四型戦闘機 イ式300馬力 リュ型No.12」「大正12年12月 中島飛行機製作所製」と書かれている。
甲式四型戦闘機はフランスのニューポール・ドラージュ社が開発した1人乗りの複葉機。
敗戦まで世界有数の航空機メーカーだった中島飛行機(富士重工業の前身)がライセンスを取得し、1923(大正12)年から製造した。
設計を含めた初の“純国産機”の「九一式戦闘機」が登場する32(昭和7)年ごろ
まで、600機以上が生産された。
プロペラは大森さんが20歳のころ、父親から「成人の祝い」として譲り受けた。
父親は戦前、呼子で銃弾などを製造する軍需工場を営んでおり、その関係でプロペラを入手したとみられる。
「プロペラの左右のバランスが見事。
こんな仕事、今ではできないと思う」と大森さん
長年、父親の“形見”として大切に保管してきたが、2年前、特攻の悲劇を今に伝える知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を見学したのをきっかけに、「自分だけの宝物にしてはいけない」と寄贈先を探していた。
寄贈先に決まった大刀洗平和記念館は「九七式戦闘機」など多くの戦争資料を展示。
「木製プロペラは初期の戦闘機だけで使われており、現存数は少ないと思う。
飛行機の歴史を伝える上で重要」と話している
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