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    ID:
    31133
    年:
    2014
    月日:
    0816
    見出し:
    戦争物語る木製プロペラを保管 福井の旧分校、山本五十六の書入り
    新聞名:
    福井新聞
    元UR(アドレス):
    http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/pickup_photo/53235.html
    写真:
    【写真】
    記事
    福井市中平町の旧上郷小中平冬期分校に、終戦直後に東京から“疎開”してきた旧日本海軍の攻撃機のプロペラが大切に保管されている。
    プロペラを所有していた同町出身者が、進駐軍の接収を恐れて古里に送ったという。
    地元住民は「戦時の様子を思い起こし語り継いでいくため、大切に保存していきた い」と話している。  プロペラは木製で全長3・4メートル、幅26センチ、重さは約30キロ。
    「一三式攻撃機 ネ式450」と記されていることから、1924~38年にかけて旧日本海軍が採用した「一三式艦上攻撃機」のものと考えられる。  山本五十六が海軍航空本部長に任命された1935年ごろは、航空機の近代化を図るための資金が必要で、多額の寄付をした人に、使われなくなった木製プロペラに山本五十六の書を刻んで贈ったとされる。
    中平町に保管されているプロペラの羽にも「龍蛟躍四溟(りゅうこうしめいにおどる)山本五十六書」 と書かれている。  送り主は、1890年に福井市中平町で増田家五男として生まれ、東京で洋食屋を営んでいた増田末吉さん。
    プロペラのハブ(中心)部分に名前が彫られている。  列車に載せられ福井駅に送られてきたプロペラは、地区の若者5、6人が担いで峠を歩いて運び、地区の神社や冬期分校で保管してきた。  中平町自治会長の山内彰さん(71)は「末吉さんは戦争の貴重な資料と考え、地元での保存を願ったのではないか」と推測する。
    「太平洋戦争に地区から17人が召集され6人が戦死した」と尊い犠牲を悼んだ  同町出身の木下正太郎さん(74)=福井市石盛町=は福井市街地の方向を指さし「福井空襲のときは、稜線(りょうせん)の向こうが真っ赤に染まったのを覚えている。
    おばあさんらが、火柱の上がるのを見て『お寺の仏様が天に帰って行かれる』と言って手を合わせていた」と幼かった当時を振り返った。  戦後の中平地区は19軒、約100人が暮らし、養蚕や炭焼きを生活の糧にしていた。
    しかし、1963年の三八豪雪を機に多くの家族が福井市街地などへ引っ越し、現在は4軒、約10人にまで減っている。  それでも、中平町に暮らした人の絆は固く、神社の祭りや草刈りなどがあれば、みんなが集まる。
    そして、神社に保管されているプロペラの手入れもしてきた。  木下さんらは「戦争の悲惨さを知る人が少なくなる中、中平の住民として末吉さんの思いを引き継ぎ、戦時を物語るとても貴重なもの」と話し、プロペラを拭く手に力を込めた fff:

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