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- ID:
- 31093
- 年:
- 2014
- 月日:
- 0812
- 見出し:
- 奇妙な木製戦闘機、模型に 高山の高校生が復元へ
- 新聞名:
- 中日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014081202000070.html
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- 記事
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太平洋戦争末期、日本陸軍は金属不足を補うため、戦闘機の機体をブナ材やナラ材で代用した試作機を十機製造した。
敵機の攻撃に対して極端に弱い、奇異な木製戦闘機で、実戦には配備されなかった。
機体が造られた木工の「飛騨の匠(たくみ)」の街、岐阜県高山市で今夏、高校生三人が復元模
型の製作を目指して調査を始めた。
「第二次大戦中に木製戦闘機を造っていたのは英国と旧ソ連だけ。
日本でも造っていたのは面白い」と、飛行機マニアの高山工業高建築インテリア科三年、加藤赳(たくみ)君(18)。
同級生の桑原一実(かずま)君(17)と岸田凌旺(りょう)君(17)を誘い、四月からインターネットや書籍で資料を集めている
高山工高は一九四四(昭和十九)年、軍用機の製造技術者養成のために高山航空工業学校として設立された。
終戦直後に部品や書類が焼却されて記録は残っていないが、木製戦闘機の胴体と翼を造っていたことが口コミで伝わっている。
復元模型の製作は、卒業生でもある建築インテリア科の室谷伸治教諭(56)が企画。
大きさは本物の五分の一(全長二メートル)か十分の一(同一メートル)を想定している。
加藤君らは七月末、木製飛行機の翼の骨組みが残っている札幌市の北海道開拓記念館を訪問。
木材の切り口や接合部分、曲げ木の技術を学んできた。
「出来栄えはすごいが、本当に戦争で使えたとは思えない。
エアガンを持って戦場に行くようなもので、空中戦は無理。
実戦で使われていたら、もっと多くの人が死んでいただろう」と桑原君。
今後は製作に携わった人たちに話を聴き、戦後七十年の来年末までに模型の完成を目指す
◆強度不足で無謀
日本軍の軍備に詳しい岐阜市の軍事史研究家、辻田文雄さんの話 輸送機や練習機ならまだしも、急旋回や急降下が当たり前の戦闘機を木製化するのは、無謀だ。
重量増加と強度不足が避けられず、当時の米軍機とまともに戦える性能は出せなかったはずだ。
仮に実戦配備されていても、特攻専用機
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