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- ID:
- 48943
- 年:
- 2010
- 月日:
- 1203
- 見出し:
- 銅管や木樋跡の続きを発見 明日香・水落遺跡
- 新聞名:
- 朝日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://mytown.asahi.com/areanews/nara/OSK201012020162.html
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=後の天智天皇)が、皇太子時代の660年に造った日本初の漏刻(ろうこく=水時計)跡とされる明日香村の水落(みずおち)遺跡(国史跡)で、水を流すための銅管や木樋(もくひ)の跡の続きが見つかった。
奈良文化財研究所が2日発表した。
銅管や木樋の跡は、皇子
の母の斉明天皇時代の迎賓館跡とされる、北隣の石神(いしがみ)遺跡に向かって延びており、両遺跡の関連性が改めて確認された。
水落遺跡の下には、銅管(内径9ミリ)や、木をU字形にくりぬいた木樋(幅30センチ)が設置されていたことが過去の調査でわかっている。
今年10月から両遺跡の境界部分約290平方メートルを発掘。
調査地中央部に中世以降の流路(幅約15メートル)があり、両遺跡がつながる部分は現存していなかったものの、水落遺跡から北へ向かう銅管を据え付けた溝(幅20センチ、深さ25センチ)が2.8メートル分見つかった。
銅管は残っていなか
った。
同じく北へ向かう木樋を据え付けた溝(幅40~80センチ、深さ30~40センチ)も2本(3.1メートル分と9メートル分)出土。
石神遺跡で過去に出た木樋の溝と同一線上に並ぶことから、両遺跡をつないでいた可能性が強いという。
水落遺跡の整地土の北限部分も見つかり、遺跡の南北の長さが約48メートルに及ぶことも判明した。
奈文研の玉田芳英・考古第二研究室長は「両遺跡の密接な関係が改めて確認できた。
水落遺跡が極めて広い範囲で整地され、計画的な大工事だったこともわかった」と話す
水落遺跡では、一辺22.5メートル、高さ1メートルの方形基壇が見つかっている。
基壇の上に建つ楼閣に水を引き込み、内部に設置した水時計を動かしたとされる。
石神遺跡では、「須弥山(しゅみせん)石」や「石人像」など噴水機能を持った石造物が見つかり、水時計で使った水が再利用された可能性
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