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    ID:
    48312
    年:
    2010
    月日:
    1022
    見出し:
    日本一導く 木製碁笥 穴水で6割生産 
    新聞名:
    中日新聞
    元UR(アドレス):
    http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/toku/genba/CK2010102102000147.html
    写真:
    【写真】
    記事
    任天堂と太いパイプ 半自動化で大量生産  碁石を入れる、愛好家にはおなじみの木製の碁笥(ごけ)。
    全国で生産される碁笥の60%は、穴水町に工場がある会社が製造しているのをご存じだろうか。
    今や全国でも希少となった碁笥の生産の中心がなぜ、穴水町なのか。
    理由を探った。
    (宮畑譲)  現在、碁笥を生産しているのは群馬、広島県の各一社と、金沢市に本社、穴水町に工場がある「谷口」のほぼ三社という。
    谷口は一九四七(昭和二十二)年に穴水町で創業し、八九年に本社を同市駅西新町に移した。
    現在、資本金は三千万円で、従業員が十六人という小さな会社だ  谷口が碁笥の生産を始めたのは五〇(昭和二十五)年。
    戦後、穴水町は能登半島の木材の集散地として栄えていた。
    そこに、創業者の故・谷口正太郎さんが目をつけた。
    碁笥のほか、当時は木製だった和傘の先端部分の「ろくろ」や婦人靴のヒールなどを生産した  このころ、職人は木を削る鉄の道具も自分で作っていたが、それでは作業を分担できず効率が悪かった。
    そこで、機械を触るのが好きだった正太郎さんは自ら機械を改造し、誰でも同じ作業ができるよう半自動化。
    大量生産が可能になった 新素材を縫いつけたバッグを前に「碁笥は会社の原点」と話す谷口正晴さん=金沢市駅西新町で  その後、趣味の多様化などで碁笥の需要は減り、機械化しなかった同業者は次々と廃業していった。
    「昔はこんな機械なんてなかった。
    先代が半自動化したから今がある」。
    こう話すのは、正太郎さんの娘婿で工場を切り盛りする専務の谷口秀治さん(69)。
    工場では今も、正太郎さんが作った機械が動く  谷口のシェアが大きいのは、任天堂(京都市)と契約していることも大きい。
    今や家庭用ゲーム機の販売で世界的な企業となった任天堂だが、谷口は任天堂の社員が数十人だったころからの五十年近い付き合い。
    任天堂の持つ知名度や販売網、求める製品の質に応えることでトップシェアを維持してきた  最盛期は年間何万組も製造したが、現在では二千~三千組にとどまる。
    在庫も十分にあり、十日~二週間で一年分を作る。
    囲碁、将棋愛好家は全国でおよそ二千万人といわれるが、いずれ碁笥が愛好家に行き渡れば、業績が先細ることは目に見えていた  そこで、九〇年代から徐々に製品を家庭用品に移していった。
    今では、たんすや収納棚などの“四角い”雑貨が大半を占める。
    さらに昨年には、〇・一五ミリに削った板に布を張るという特殊な加工を施し、柔らかく縫製ができる素材を開発。
    この板を縫い付け、木目を生かしたデザインのバッグや財布は、本 年度の石川ブランド認定製品生活産業部門の金賞に選ばれた  それでも、谷口は碁笥の生産をやめることはない。
    それは「うちの会社の原点だから」と、正太郎さんの次男で二代目社長の谷口正晴さん(59)。
    丸い碁笥から四角い家具、新たな商品開発へ。
    受け継がれる創意工夫の精神、そして木と碁笥へのこだわりが、業界一位たるゆえんなのだろう fff:

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