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ID : 2438
公開日 : 2007年 1月11日
タイトル
バイオリン職人 ミクロの作業に命
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://osaka.yomiuri.co.jp/shitei/te70109a.htm
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元urltop:
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写真:
 
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ニスの匂(にお)いが漂う室内。ずらりと吊(つる)されたバイオリンが、しっとりと深い琥珀(こはく)色の輝きを放つ。
 大阪府高槻市内の雑居ビルにある工房。古びた木の机に向かい、岩井孝夫(52)は黙々とカンナを動かす。板の表面を撫(な)でるように削っては、専用の定規をあてて、厚さを測り、また削る。100分の1ミリの世界。
粉雪のような木屑(くず)が机に積もる。
 名器・ストラディバリウスの作者であるアントニオ・ストラディバリ(1644~1737)らを育てたイタリア北部の都市にちなみ、工房は「クレモナ」と名付けた。
 岩井自身もその街で12年間、修業した。クラシック3大コンクールの一つで、ほぼ4年ごとにモスクワで開かれるチャイコフスキー国際音楽コンクールのバイオリン製作部門で98年、日本人として初入賞した。
 整った木目、丁寧な造作。作品には演奏家の評価も高い。8年前から愛用する大阪センチュリー交響楽団バイオリン次席奏者の尾崎平(40)は「すっきりした音色。ずっと弾いていたくなる」とたたえる。
 胴の表裏の板を横板で張り合わせて、柄を付け、ニスを塗る。「形をつくるだけなら誰にでもできる」と岩井。だが、作業の精度、材料の質や乾燥の具合、ニスの塗り方などの微(ほの)かな差が繊細な音色を左右する。
 「この楽器の良しあしは、手間をどれだけ惜しまずにつくったかで、決まる」。自負がにじむ。
バイオリンづくりを本場で学ぼうと、26歳の岩井はテントを背負って約3か月、欧州各地を放浪した末、クレモナの製作学校に行き着いた。
 覚えたてのイタリア語で何とか授業についていく一方、講師のステファノ・コニア(60)の弟子になった。
 コニアは何も教えず、その代わりにいつも「お前はどうしたいんだ」と問いかけた。自分の音色を求めて自ら考え、腕を磨かないと生き残れない、と伝えようとしたのだろう。だが、岩井が板を削り過ぎ、コニアの指示より も100分の何ミリか薄くなった時には「どうするんだ。できないなら、お前にはもう仕事を任せられない」と、激しく叱(しか)りつけた。“ミクロ”の作業の厳しさと責任の重さを岩井は思い知らされた。
 1年後、イタリアを代表する巨匠でコニアの師でもあるジオ・バッタ・モラッシー(72)の工房に入った。
 仲間と釣りに行く休日も、出発の直前まで木屑まみれで机に向かっているような師。ある時、岩井が胴の裏板の接着具合を見せ、ほんの僅(わず)かな隙(すき)間について「音には影響しないし、板が割れることもない」 と弁解すると、板を取り上げ、机に何度も叩(たた)きつけて「何十年、何百年先まで大丈夫と言えるのか」と怒鳴(どな)った。
 良い作品と、いい加減につくったものの差は、年月とともに広がるという。ストラディバリウスは300年以上、人々を魅了し続けている。
 工房から寄宿先に帰っても、岩井は作業を続けた。「岩井ブランド」第1号は材木店で板と交換するのがやっとだったが、次第に腕をあげ、32歳でアパートの一室に小さな工房の看板をあげた。帰国する1993年ごろ には、数十万円から100万円前後のバイオリンが、ほぼ1か月に1台ずつ、つくっては売れた。
手間惜しまずかけて 何百年先まで見据える 「忍耐と情熱」が大切  「職人に必要なことは何か」と、岩井はイタリアで出会ったもう一人の師のレナート・スコラルベッツァ(79)に尋ねたことがある。
 「忍耐と情熱、そして自分自身や仕事を常に厳しく見つめること」と師は答えた。確かにそうだと、岩井はクレモナに辿(たど)り着くまで繰り返した挫折を省み、かみ締める。
 高校時代には五輪出場を夢見た。インターハイの自転車競技で、3位に入賞。実業団チームがある自転車部品会社に就職し、練習に明け暮れた。だが、故障もあって成績が伸びず、約2年で退社。「結局、精神力が足 りんかった」と振り返る。
 京都市の実家に近い楽器店で紹介された長野県のギター工場に勤めたが、ラインで部品を組み立てるだけの作業に幻滅。気晴らしに習い始めたバイオリンを手にしているうちに「この柔らかい曲線と優美な音色を自 分でつくりたい」と感じ、23歳の時、同県内の工房に押しかけた。
 だが、のこぎりで板を真っすぐに切る、ひたすら木を削る、といった下積みの仕事に耐えられず、1年で逃げ出した。「そんなんじゃ、ろくな人間にならないぞ」。職人の言葉が、背中に突き刺さった。
 それでも、バイオリンへの思いは募り、いくつかの工房に勤めた。腕を磨くほど、自らの仕事に満足できず、もっと深く究めたいと願うようになって、日本を飛び出した。
岩井さん(左)の工房を訪れたモラッシーさん。仕事への妥協を許さない厳しさがあった(岩井さん提供) 「徒弟制度みたいな下積みはないけど、何でも自分の責任でやらないといけない厳しさがあった」。岩井が工房と 共に開いた製作学校の1期生で、津市内に工房を構えて7年になる中野雅敏(35)はそう話す。
 三重大学時代、管弦楽団でチェロを担当。95年の卒業の直前、岩井の生徒募集に「やりたいのはこれだ」と、既に決めていた就職先を断って応じた。職人然とした気難しい師も想像したが、岩井は穏やかで技術的なア ドバイスも細やかだった。ただ「オーケー」はなかなかもらえず、どこがなぜダメなのか、自分で考えて作業するように仕向けられた。
 「正解は教えられるもんやない。自分で導き出すもの」。岩井はそう師から感じ、弟子に伝えてきた。
 大阪府摂津市内に工房がある古川皓一(32)は97年、将来は実家の喫茶店を手伝おうと考えていた時に岩井の学校を知り、飛び込んだ。最近、教わったことが後輩と微妙に違うと気づいた。「岩井さんも最善の方法を 求めて弟子と一緒に試行錯誤してるんやとわかった」という。
 「同じ寸法でつくったバイオリンでも決して同じ音は出ない。良いと信じたものを追い求めるだけ」と、岩井は言う。クレモナでも、100近くある工房ごとに胴の膨らみなどがわずかに異なる。それは職人らがそれぞれ連 綿と伝統を継ぎ、その上に工夫を重ねてきた結果だという。
 「自分の音色」を求め、岩井たちも模索を続けている。
名器作る職人の町 イタリア「クレモナ」  クレモナはイタリア北西部にある人口7万ほどの都市。古くからバイオリンの一大生産地として栄え、今も100人ほどの職人が工房を構える。
 16世紀後半から18世紀前半にかけて、この街はニコロ・アマティ(1596~1684)や、その弟子のストラディバリ、ジュゼッペ・ガルネリ(1698~1744)ら、後世に名を残す職人を多く輩出した。
 彼らの作品は今も名器として生き続けている。
 特にストラディバリはバイオリンの形を完成させた1人とされ、約600の作品が残っているという。その多くはオークションで取引されており、昨年5月には354万4000ドル(約3億9000万円)の値がついた。
 日本では、千住真理子(44)や諏訪内晶子(34)らがストラディバリウス、五嶋みどり(35)らがガルネリを愛用。千住のストラディバリウスは約300年間、ほとんど弾かれることなく眠っていた幻の名器だという。
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