ID : 2062
公開日 : 2006年 11月14日
タイトル
弥生後期の7メートル柱出土 青谷上寺地遺跡
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新聞名
日本海新聞
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元URL.
http://www.nnn.co.jp/news/061111/20061111001.html
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元urltop:
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写真:
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「弥生の博物館」といわれる鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から一九九九年に出土した七メートル超の木材が、弥生時代後期(約千八百年前)の建物の柱だったことが分かり、鳥取県埋蔵文化
財センターが十日、発表した。弥生時代の柱では最も高く、調査に当たった浅川滋男・鳥取環境大学教授(建築史)は「高さ十メートルを超える物見やぐらだった可能性がある。魏志倭人伝に記された卑弥呼の宮室にある
という楼観は、こうした物見やぐらだろう」と話している。これまで、絵画土器や魏志倭人伝の記述などから高床式建物の存在が推測されていたが、その存在を立証する柱の出土は初めて。
木材は長さ七・二四メートル、直径一七センチ。樹種はスギの芯持(しんもち)材で、下から六メートルほどの部分と、先端付近に直角に交わる貫穴(ぬきあな)があることから柱と推測。貫穴には床材を支える板が差し
込まれたとみられ、少なくとも地上から五メートル以上の高さに床があったことが予測されるという。
木材は水路跡で土留めに使われる矢板とともに出土。柱を再利用して水路の護岸補強に使用されていたとみられる。
県埋蔵文化財センターによると、全国的には一九九九年に静岡県の矢崎遺跡で弥生から古墳時代とみられる長さ四・九八メートルの柱と推測される木材が見つかっている例があるという。
併せて、二〇〇〇年に出土した弥生時代中期(約二千年前)のものとみられる長さ六五センチ、幅二三センチ、厚さ三センチの板材に台形の溝を彫り、同型の板を差し込む蟻棧(ありざん)という建築技法が使われてい
たことも判明した。板の反りを防いだり二枚以上の板を接合する技術で、建築部材に使用されたものとしては日本最古という。
柱と蟻棧は、十一日から二十四日まで、鳥取市青谷町青谷の青谷上寺地遺跡展示館で展示される。
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