ID : 11112
公開日 : 2009年 3月31日
タイトル
引き出された「祈り・近代・越境」 「木に潜むもの」展
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200904010229.html
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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最初に目に飛び込むのは、大小の石ころ二つ。大きさは2倍ほども違うが、形はそっくり相似形。小さい方は、うっすらと目や角が描かれ、石を横たわるらしき牛に見立てている。で、大きい方をよく見ると、これが
石にあらず、そっくりに彫られた木と分かる。橋本平八(1897~1935)の「牛」(34年、東京芸術大蔵)は、実にトリッキーだ。
だが、そこにとどまらない。自然の石に生命の形を見いだし、それを超絶技巧で木に移すというだけで、現代のコンセプチュアルアート(概念芸術)に通じる知的なだいご味。しかも角の部分は石の時より少し膨らみ、木
の中から牛がむくりと現れ出そうな、アニミズム的な気配も漂うのだ。
南洋の民芸品のような橋本の木彫「幼児表情」(31年)も併せて見れば、明治期に西洋から移入した、芸術家個人の表現としての近代彫刻が、昭和の初めに早くも再考されていたことに驚く。
「木に潜むもの」展では、この橋本に若手の小谷元彦(72年生まれ)を対置する。小谷は、河原で拾った人面石をチェーンソーで木彫にするなど橋本の試みを検証、その哲学性を称揚してみせる。
岡村桂三郎(58年生まれ)も、木の土俗性を生かす。日本画を学んだ岡村が絵を描くのは、しかし武骨な板。焼いた板に岩絵の具を載せ、それを削るように巨象を描いた縦3メートルの大作などは、さながら古代壁画か
洞窟(どうくつ)画。この呪術的な強さは和紙では出ないだろう。
一方、遠藤利克(50年生まれ)の「無題」(83年)は、趣が異なる。高さ1.4メートルの丸太が22本、円環状に立ち並ぶのだが、丸太はタールで黒光りし、くりぬかれた頂に水が張られ、自然木より表情は禁欲的。木の垂
直性が円環という形式を備え、緊張感と象徴性に。アプローチは違うのに、やはり「祈り」が浮上している。
小企画ながら、木という素材を通して、呪術性や近代性、ジャンルの越境といった多様なテーマが引き出される。しかも多くが所蔵作品。「美術館に潜むもの」を生かしているのだ。(大西若人)
◇6月7日まで、東京・北の丸公園の東京国立近代美術館。5月4日を除く月曜と同7日休館。
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