ID : 11075
公開日 : 2009年 3月30日
タイトル
復元頓挫 20年眠る資材 「食糧会館」
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000000903300003
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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明治、大正期には銀行で、1988年まで「食糧会館」だった建物の解体資材が、熊本城跡の一角の倉庫に収められたままになっている。解体当初は復元構想があり、材木が取り置かれたものの、実現しなかっ
たからだ。城下町活性化のため、再び活用を探る動きがある。(岡田将平)
熊本城総合事務所横の倉庫には、大量の材木が所狭しと積まれ、高さ15メートル、間口25メートルあったという解体前の建物の大きさがしのばれる。だが、市教委によると、20年間ずっと置かれたままで、2回、シロ
アリ防除の処理をしただけだ。
米穀卸関係の団体などが入る食糧会館は城下町、同市米屋町1丁目にあった。付近は明治・大正期、銀行が集まり、熊本経済の中心で、会館の建物も当初は、現在の肥後銀行とは別の「肥後銀行」だった。1923~43
年には安田銀行(現みずほフィナンシャルグループ)熊本支店、その後、会館として使われた。土蔵造りの洋風建築だった。
老朽化で建て替えられることになったが、保存を求める地元の運動を受け、いったん解体して別の場所で復元を目指すことになった。米屋町3丁目の平野俊晴さん(60)は「当時は公民館などに使おうと地元でも盛り
上がっていた」と振り返る。
だが、移転先がうまく決まらなかったことから、復元は先送りに。近くの小学校の敷地に復元する計画も浮上したが、頓挫。結局、木材は倉庫に収められたままだった。
今年に入り、会館に再び光を当てる動きが出てきた。熊本まちなみトラストの事務局長冨士川一裕さん(58)らが1月末、住民らと会館の活用を考える勉強会を開いた。九州新幹線開通をにらんだ市の事業の一環で、
熊本駅と市中心部間の活性化を検討する中で、会館が浮上したという。
冨士川さんは20年前の保存運動にもかかわった。大正時代に建てられ、今も往時の姿をとどめる同市中唐人町の旧第一銀行熊本支店の保存運動にも取り組んだ。
会館について「日本古来の土蔵造りを生かした洋風で、日本の近代化を物語る建物。地域がにぎわっていた頃の生き証人でもある。使わないと生きてこない」と話す。
今後も勉強会を開き、活用法を詰めていくという。
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