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荘園開発 農地拡大示す
豊田市教育委員会は21日、同市上野町1丁目の「千石遺跡」から、9世紀の平安時代前期に築かれたとみられる堤防と木樋(もく・ひ)の遺構を発掘したと発表した。平安時代の荘園開発に伴い、農業や土木技術が広が
る過程をうかがえる貴重な資料といい、24日に現地説明会を開く。
ため池から田畑への水の供給を調整する木樋が堤防とセットで見つかった事例は東海地方ではほとんどなく、県内では、西尾市の「室遺跡」に次いで2例目という。
千石遺跡は矢作川左岸に広がる縄文時代中期以降の遺跡で、総面積約6万平方メートル。市教委は昨年6月、付近一帯の区画整理事業に伴い、約3万2千平方メートルの調査に着手。現在は、約2500平方メートルで発
掘調査を進めている。
その結果、調査区域の南端で、北西から南東に長さ約30メートルにわたって延びる幅約6メートル、高さ約2メートルの堤防跡が見つかった。付近は北東方向からなだらかに下る地形で、わき出た地下水などを堤防で
仕切り、灌漑(かん・がい)用の貯水池を築いていたとみられる。
堤防の南西には、田畑が広がっていたとみられ、堤防の1カ所で、貯水池から農地へと水を流す管状の木樋が見つかった。長さ4・4メートルで、管の直径は約25センチ。水に強いヒノキ類の丸太を面取りして縦に割り、
内部をくりぬいて再び重ねた構造。上部1カ所には四角い穴が開いており、ここにくいを打ち込むなどして水量調整していたらしい。
木樋は、年代測定の結果、9世紀ごろのものと分かった。利水技術の向上に伴い、水辺の低地での農業が可能になったとみられる。
今回の調査区域の隣接地からは、昨年夏の調査で、「福」「大」などの文字が墨で書かれた陶器類が約60点出土している。同時代のものとみられ、豊作を祈る祭事などに使われたとみられる。
県埋蔵文化財調査センターの都築暢也所長は「腐りやすい木製の遺物が良好な状態で見つかった希少例で、人々の生産活動の様子を物語る貴重な遺跡だ。平安時代に荘園が形成されていく過程で、農地がどう広がっ
ていったのかを知る上でも意義深い発見だ」と話している。
説明会は24日午後1時半から調査現場で。小雨決行。豊田スタジアム北東の豊田市立寺部小学校(同市高橋町1の96)近くで、同校に駐車スペースも設ける。問い合わせは市郷土資料館(0565・32・6561)へ。(+/d
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