ID : 7950
公開日 : 2008年 6月13日
タイトル
法隆寺金堂の天蓋 670年の焼失前の木材も使用
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新聞名
MSN産経ニュース
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080613/acd0806131913007-n1.htm
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写真:
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法隆寺(奈良県斑鳩町)の国宝・金堂内で仏像の上に飾られている天蓋(てんがい、重要文化財)の部材に、7世紀初めに伐採されたとみられる木材が含まれていることが、奈良文化財研究所の光谷拓実・客員研
究員が行った年輪年代法による調査で判明した。
同寺は670年に焼失し、その後再建されたとする説が有力だが、聖徳太子が創建したとされる607年ごろの古い部材も合わせて使われていたことになり、新たな謎が浮上した。
金堂の天蓋は3基あり、調査では本尊・釈迦三尊像(国宝)の頭上に当たる「中の間」と、阿弥陀如来像(重文)の上の「西の間」に飾られてきた天蓋の部材ついて年輪年代を測定。
その結果、2点には新旧の部材が混在しており、中の間の天蓋の天井板部分には、607年前後に伐採された部材が含まれていることが分かった。
日本書紀には、法隆寺は670年に焼失したという記述があり、現在の伽藍(がらん)はその後再建されたとの説が有力となっている。
調査結果について、東野治之・奈良大教授(日本古代史)は、中の間の天蓋の部材について「仏法興隆の政策の中で寺院造営が奨励されて木材が備蓄され、それが使われたのではないか」と推測する。
また同寺の高田良信長老は「釈迦三尊像の下の台座と同様に、天蓋も聖徳太子が住んだ斑鳩宮の部材が使われていても不思議ではない。上下ともに太子ゆかりの部材を意識的に使い、信仰と結びつけたのではないか
。太子敬慕の念を考えるうえでも貴重な資料」としている。
中の間、西の間の天蓋は14日~7月21日に、奈良市登大路町の奈良国立博物館で開かれる特別展「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。
14日には午後1時半から公開講座が開かれ、光谷研究員が調査結果などについて講演する。
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