ID : 5589
公開日 : 2007年 12月25日
タイトル
最古「木製笠塔婆」と「板碑」が出土 (杉、アスナロ、桧)
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新聞名
MSN産経ニュース
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071225/acd0712252227007-n1.htm
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写真:
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石川県珠洲(すず)市の野々江本江寺(ののえぼんこうじ)遺跡から、平安時代末期から鎌倉時代前期とみられる「木製笠塔婆(かさとうば)」2基と「木製板碑(いたび)」1基が出土し、県埋蔵文化財センターが25
日、発表した。木製の出土例としては全国最古の資料で、平安末期の絵巻物「餓鬼草紙(がきぞうし)」(国宝)に描かれた笠塔婆や板碑の実在を裏付ける発見。同センターは「墓制史研究上で一級の資料」としている。
県営ほ場整備事業に伴い、県埋文センターが県教委の委託を受け、195平方メートルを発掘調査。調査地は川と海岸砂丘で形成された標高1・8メートルの低湿地帯で、木製笠塔婆と板碑は鎌倉時代に埋め立てられた
土の中からまとまって見つかった。
笠塔婆のうち1基(長さ1・9メートル、幅18・8センチ)は竿(さお)と額の部分、もう1基(長さ2メートル、幅16・3センチ)は竿のみ。額の部材の中央には金剛界大日如来の梵字「バン」を刻み、その下の銘文区画で願文
とみられる墨書きを確認した。
板碑は板材1枚を加工したもので、長さ1・93メートル、幅30・5センチ。頭部は山形の頂部と2段の羽刻みで構成され、塔身から3・5センチ突き出した長方形の額部で区画されていた。材質は笠塔婆の竿はスギ、額は
アスナロで、板碑はヒノキだった。
ともに餓鬼草紙に描かれたものと同一形態で、遺跡から同時に出土した珠洲焼の年代と対応させても平安末期~鎌倉前期(12世紀後半~13世紀前半)に造られたものと推定される。
県埋文センターは「笠塔婆や板碑は、木製から石製へ変化したと推定されていた。しかし、証明する資料がなかっただけに中世の墓制や墓標の初源を考える上でも重要。『餓鬼草紙』が現存していた墓地の風景を描い
ていたことも裏付けられた」としている。
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