コンクリートくずが発見されたのは、同校校庭南側の約1200平方メートルの発掘調査現場。徳丹城正殿があった政庁跡の北西地域に当たる。同校の旧校舎が建っていた付近で、今年5月に調査を開始した際に廃 材が散らばって発見された。
これまで確認された廃材の総量は10トントラック数十台分とみられる。遺跡の破損面積は385・1平方メートルで、廃材の投棄で完全に破壊された部分もある。調査地区の南側にも廃材が確認されており 、調査が進めば破損面積はさらに広がる見通しだ。
同校の現校舎は1期工事が70年3月、2期工事が71年9月に完了し、並行して旧校舎が取り壊された。当時の請負業者は30年以上前の工事で資料がなく、職員も退職しており、詳細は不明という。
徳丹城跡は69年に国史跡指定を受けた。同町の西徳田、東徳田地区にまたがる約16万平方メートルが指定されている。
町教委は昨年9月、井戸跡から9世紀前半のものとみられる木製兜が出土したと発表。ほぼ完形での発見は全国初で、日本の武器史上、貴重な発見と注目された。
徳丹城とは 蝦夷(えみし)が住む東北地方を支配下に収めるため、律令(りつりょう)国家側が建設した軍事・行政拠点の一つ。坂上田村麻呂の後を継いだ将軍が812年ごろ造営した。正方形の塀が二重に 囲み、正確に東西南北を向いている。同様の城柵は、県内ではほかに胆沢城(奥州市)と志波城(盛岡市)がある。