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神谷のインドネシア点描
神谷のインドネシア点描

『楽しい路傍、ジャカルタの路肩』の巻き

ジャカルタの街を走るのは楽しいです。25年以上タクシーを利用してジャカルタの街を走り回ってきましたが、独立してより苦節10年…、ようやく自家用車が持てる身となりました。(勿論、運転手付きです。)上がり続けるメーターの数字や悪さをするタクシー運転手君との葛藤を気にすることなくノホホンと通り過ぎる車窓を眺めておりますと、路傍より民衆の生活が見えて来ます。


①このビルの建ぺい率や如何?
小職が駐在開始した1979年、既にジャカルタ旧市街コタ地区に建っていたユニークな逆4角錐型のビルです。空に向かって大きく広がっている姿は地震のない都市ならではものです。空間の効率的利用。
でも…、いつ眺めても不安になります。

②砂糖入り、りょくちゃ
インドネシアは紅茶の国なのですが最近緑茶が注目を集めております。わざわざ日本製に化かしたくて、『りょくちゃ』とひらがなを振ったペットボトルも売れています。でも、甘いです。紅茶と同じく砂糖が入っております。色も緑でなく茶色です。
一体どこが、『りょくちゃ』、なのでしょうか?

③ビル建設ラッシュ.
ジャカルタの建設ラッシュはバブルの様相を呈して来ております。ビルが一棟建つとそこに何台の車が出入りすることになるか予想きます。なのにビルばかり民に建てさせて官の行う道路整備が進んでいません。ジャカルタの渋滞は日に日に酷くなって行くのです。 これも経済成長の証と考えれば喜べないこともないのですが…。

④稼げた?.これでも女の子.
バスの中に乗り込むバンドが居ります。意味も無くギターやドラムをかき鳴らし乗客に金をせびるのです。チンピラの世界かと思っていたら何と女の子が居ました。バスから出てきた時は女の子とは判りませんでした。
この娘だって磨けば光るのに…、美しく着飾りたいだろうに…。
⑤手首から先がない!.
妹をダシに使ってPemintaプミンタ(インドネシア語でお乞食の意)をやるとは怪しからん!、と怒っていたら、何とお兄ちゃんの手首から先が有りませんでした。思わず小銭をあげました。時々足のない弟を背負ってプミンタをする感心な兄ちゃんも居ます。小銭を上げたら運転手がクスクス笑います。何と、足を半ズボンの中へ折り曲げて入れているのでした。怒っていたら運転手君の一言、『一日中足を曲げ続けるのは拷問だよ』。生きるとは大変なことです。

⑥ストリートチルドレン. 感心なお兄ちゃん、
交差点にたむろしている子供達です。その一人が弟と見える幼子にストローで水を与えておりました。しかし、幼児はビクともしません。幼児を抱いてジョッキー(乗り屋)をやるおばさん達がたくさん居ます。でも幼児の殆どはグッタリと抱かれるだけ。泣くでもなし、グズルでもなし。一体どうなっているのでしょうか?
幼児の元気の無さが気になります。

⑦働く子供達. 働く猿(ジャカルタの猿回し)
皆が乞食ではありません。健気に働く人々や猿が居ります。たとえくず拾いであっても、猿回しであっても、それは立派な労働です。
少し救われる光景です。

⑧バジャイの群.
昔、スハルト大統領の一言、『人間が人間を乗せるなんて一国の首都として恥ずかしい』、で運行を禁止されたベチャ(人力車)に替わって庶民の足を勤める三輪車です。インド製だそうです。でもこれも排気ガスが汚いという理由でその存在は風前の灯火です。スハルトさんは一国の首都にスラムがあるのは恥ずかしい、と言って
スラム街を塀で囲って見えなくしたことがありました。スラムの人を救うのではなく、見えなくしてその存在を忘れるのです。まさに棄民です。これは解決策ではなく問題から逃げているだけです。当時は大変憤りを感じましたが…、
今の日本を見ると、憤ることも出来なくなりました。


⑨追いすがるベモ、消え行く乗り物.
これこそ消え行く乗り物、もう生産をしていないそうです。壊れた分から減ってゆきます。あとしばらくであの可愛らしい健気に走る姿が見れなくなるでしょう。
写真を沢山撮り溜めております。

⑩名案!、経過時間表示信号
気が長いように見えるジャワ人も乗り物に乗ると短くなります。やたらとクラクションを鳴らしますし空きがあれば直ぐ割り込んで来ます。そんなジャワ人にぴったりの方策、信号の数字化!!!信号が変わると残り時間が数字で表示されます。0に近ずくにつれてオートバイが唸りを上げます。0になると一斉に走り出しますが何と赤方向の車列が途切れていません。
交差点の中で入り乱れます。凄い光景です。
⑪日本ではあり得ない都バスと名鉄バスの並走.JPG
我が目を疑る光景です。日本でなら白昼夢です。東京都の都バスと愛知県の名鉄バスが並走しています。これがジャカルタです。ほかに京都のバスもおりますしし、滋賀のバスも居ます。日本のバスの展覧会です。
トラックもおります。ペリカン便やら日通やら、ウイングタイプのトラックはその殆どが日本よりの中古です。電車に乗れば綾瀬行きなどと記されております。海を走ればフェリーも中古です。全てが日本のお古です。
日本で使用年数規制に引っ掛かった排ガスの汚い車達がインドネシアで元気な余生を送っているのです。排ガスは自分の国で減りさへすればそれで良いのです。
政治家は国境に衝立が立っているとでも思っているのでしょうか…
⑫都バスにかぶせられた、割り込み優先.JPG
日本人が車を運転するのは誠に危ないです。インドネシアでは割り込み優先だからです。何ゆえ割り込み優先なのかって?それは、目が前に向かって付いているからです。前さへしっかり見ていれば突然割り込まれても衝突しません。衝突するのは前方不注意だからです。バックミラーやルームミラーで後ろに気をつける余裕があったらしっかり前を向け!
ミラーは自分の顔を写して表情を整える為のものなのです…。
⑬バックシャンにご注意 振り向けばこの通り
『泣いているのか、笑っているのか、後姿の素敵な貴女、振り向かないで、○○のひと』昔、エメロンシャンプーのCMに流れた歌です。
ミニスカートから覗くスラットしたおみ足、長い髪が風に吹かれ、思わず追い抜いて顔を見たくなる女性のことです。追い抜いた途端、後悔します。これがバックシャンです。シンガポールに多く見られます。
ジャカルタに交差点にもおりますが、前から見てはいけません。

⑭独立戦争の英雄スディルマン将軍の目に映るのは何…?
インドネシアの諸葛孔明、功成り名を遂げたスカルノ大統領やスハルト大統領よりもインドネシア民衆が愛する人ではないでしょうか…
1946年8月17日、スカルノ大統領が華々しくぶち上げた独立宣言、でもその後で実際にオランダ軍との血みどろの戦いを指揮したのはこの将軍なのです。結核を患っていたので兵士達に担架で担がれながら各地でゲリラ戦を指揮したそうです。オランダがようやく独立を認めた本当の独立記念日1949年12月27日、
そのわずか一ヶ月後にその命を終えたそうです。 享年何と!34歳…、スディルマン将軍。
その名を冠した目抜き通りにやっと将軍の銅像が建ちました。若き面影を残し独立記念塔の方を見つめる将軍の目に一体どんなインドネシアが写っているのでしょうか…
素晴らしい経済発展を遂げている輝けるインドネシアでしょうか?
それとも…
経済発展から落ちこぼれ道路で暮らさざるを得ない同胞たちの悲しい姿でしょうか?

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