『インドネシアで見る夢』の巻き
インドネシアは南洋材の最大産地です。
日本における南洋材の歴史はフィリピンのラワン材より始まり、マレーシアのセラヤ材、そしてインドネシアのメランティ材に引き継がれて今日に至っております。
その南洋材最後で最大の産地、インドネシアが用材(原木)不足でもがき苦しんでいる事をご存知でしょうか?
インドネシアの木材業界は崩壊の危機に瀕しております。
その理由は2つ
①スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領の手で推進されて来た違法伐採規制強化と
②原油価格高騰の煽りを受けて強まったパーム農園開発による転換林政策(ジャングルを焼き払ってプランテーションに替える事)
一時期非石油ガス輸出の筆頭業界としてもてはやされた合板業界の崩壊がその象徴です。1985年に原木輸出を実質上禁止し、木材業界のチュコン(政商)ボブ・ハッサンの手で自由競争を規制までして育て上げた合板業界でした。その虎の子をスシロ・バンバン・ユドヨノ政権は手放したのです。それもまるで豊臣秀吉が行った三木城干殺しの如き方法で…。
インドネシアでは一般的に年間木材需要が8000万立方強あると言われておりました。これに対して合法材供給能力は3000万立方程度しかないと認識されておりました。その差5000万立方の約7割強が違法伐採で賄われていたことを知っていながら何の救済策も用意しないで違法伐採を規制したのです。
違法伐採を行った者も、これを買った者も、これを運んだ者も実刑に処す、実に厳しいものでした。逃げ場のない木材業界はじりじりと原料に窮して行きました。
工場操業を維持しようとして無理な手当てすれば上場会社の社長と云えども摘発されてしまいます。小職の友人達もその一人でした。有名な木材上場企業の社長と副社長でしたが両名同時に身柄を拘束されてしまいました。まさか、と思いましたが送った携帯メールに留置場から返事が来ました。原木伐採業の友人はこの事件に震ってしまいました。これでは伐採なんぞ怖くて出来ない、と嘆いておりました。
原木手当てをしなければ工場の操業は維持できません。装置産業である合板工場が原木不足で片肺飛行をしたのでは直ぐ大きな損失が生まれてしまいます。仕方なく従業員の解雇整理に着手します。退職金(解雇手当)を払ったり払わなかったり、すったもんだの挙句人員整理を終へても、それ以上に原木入荷量が落ち込むのです。まるで、『積んでは崩し』…嬲り殺しです。干殺しです。
こんなに苦しく危ない思いを繰り返すぐらいならいっそ止めた方がまし、可愛い(?)馬鹿息子にこんな恐ろしい事業を継がせられるか!こんなことになるのは規制する前から判りそうなものです。
インドネシア初の直接選挙を経てインドネシア第6代大統領となられたスシロ・バンバン・ユドヨノ氏が2005年に来日された折、大統領臨席で催されたシンポジウムに出席したことがあります。
その席上で新大統領の口から漏れた言葉は、何と!
『違法伐採規制を国際公約として実施する!』、でした。
直感的に木材業界崩壊を予想しました。
大統領に対して
『貴国の木材業界が崩壊し6000万人とも云われる貴国の民が路頭に迷ってもよいと言われるのか!』と弁舌鋭く迫る自分の姿をその後幾度も、夢の中で見ました。その時は自分勝手な予想でしたが、それから10年近く経って現実の姿になろうとは!…(恐ろしい夢ほど良く当たるのです。)
日本の木材業界は、
『木は有るけれどコストに合わないので使えない』、と嘆いております。その日本へコストに合う安い木材を供給し続けたインドネシアの木材業界は使える木(用材)を失ってしまいました。
大手木材業者は伐採業者も合板業者もこぞって石炭採掘とパーム農園経営に事業を転化し木材業界から足抜けして行きました。130工場近くまで数えられた合板工場が原料不足で操業を維持できず、バタバタと倒れてゆきました。有名な老舗木材業者が次々倒れてゆくのに戦慄を覚えました。ジャンビでも最盛期9工場有った合板メーカーが今ではたった1社。現在生き残っている天然木使用合板メーカーは30工場あるかないか…。実に全体の7割強に当たる工場が消えてしまったのです。
これを業界崩壊と言わずして何と申しましょう!
このようなインドネシア木材業界推移の真っ只中に身を置き続け34年間も家族共々飯を食わせてもらってきた小職としては、とてもこの事態を他国の事、対岸の火事として眺めることが出来ません。
そこで行動を起こします。 コンセプトは、
『パーム農園をHPH(林区)にしよう。パーム農園から原木を創ろう!』
木材業界は用材(原木)が少なくなり過ぎて維持できなくなりました。植林木を使い込む努力を続けておりますが需要が多過ぎて供給が追いつかなくなりそうです。特に合板メーカーが使い始めると使用量が大きいのでファルカタでもゴムでも逼迫してしまいます。更には紙パというモンスター業界が控えておりますので植林木は早晩追いつかなくなりそうです。そこで新しい原木(用材)を創り出しましょう。それも今後農園業界を悩ませる事になるでであろう産廃予備軍で…
パーム椰子の茎が集まった部位から採れる赤い実が脚光を浴びて農園がどんどん増えております。ジャングルのあった場所は次々とパーム農園に変身を遂げて行きます。若いパーム椰子は多くの実を付け尚且つ背が低いので採り易いです。老いたパーム椰子は実が少ない上に背が高いので採り難いです。25年を過ぎて実が成らなくなり採算の取れなくなったパーム老木は伐採され若木に植え替えられます。そろそろインドネシアでも植えてから25年を迎える農園が出始めます。
そこで質問です。 『伐採された老木はどうなるのでしょう?』
答えは、
『用途がないので産廃として土に埋められるか火を掛けて燃やされる』いずれ大きなC02発生源となります。何せ25年掛けて吸い込み樹幹に固定化していたCo2を一挙に吐き出してしまうのですから。
パーム椰子を植える際にジャングルの木を燃やしCo2を出しました。
パーム椰子を伐った後も自分を燃やし腐らせCo2を出します。
こんなパーム農園のどこがエコなのでしょうか?!
儲かるパームの実だけがエコとして持て囃されているだけなのです。
なぜって?
実が企業に利益をもたらすからです。…(盛大にエコを宣伝します)
利益をもたらさない老木の幹は?……(密かに捨てられるのです)
まやかしエコの産廃を用材不足に悩む木材業界の救世主に仕立てる…。こんな夢のようなエコ事業を知りました。
不均一で超高含水率のため加工不能、と云われているパーム幹を加工できるように変身させる事さへ出来れば、木材業界が欲している原木に替わる用材(原料)となりましょう。合法木材に替わり安定・安価に入手できる待望の用材(原木)、…たとえそれが木ではなかったとしても(椰子は竹の一種)木材業界にとっては救世主となりましょう。
農園業界にとっても処理に頭を悩ますパーム幹が利益をもたらしてくれたら、なんて素敵でしょう。
たとえ利益が無くとも合法的に産廃処理を果たせれば朗報でしょう。
『幹に困る農園業界』、『原木のない木材業界』、余る業界から足らない業界へ、産廃から用材へ、幹から原木へ、この夢を実現する魔法の小箱が燻煙熱処理です。
パーム幹の根から7m位までの部分が用材に適しているそうです。7m以外の根や梢や茎を燃やして作る煙で7mの幹を熱処理する。7mの幹を、落ち込まない・腐らない・割れない・狂わない…、木材以上に立派なパーム原木に変身させられるのだそうです。
『?!』
理論を理解できる優秀な頭脳を持ち合わせておりませんので変身の仕組みが解りません。
でも…、
この事業の重要度は判ります。これが出来れば、どの様なバラ色を木材業界にもたらすかは判ります。どれだけ農園業界が助かるかも判ります。どれだけCo2の発生を防ぎ得るかも、ぼんやりとはですが、判ります。
であれば実現に向けてトライしてみましょう。事業化経験は人に負けぬものを持ち合わせております。原木伐採業者でさへも知らなかったぺルプックと云う未利用樹種の用途開発、そしてラワン平割りに替わる集成フリーボードと言う概念の創造と製品開発に従事して参りました。この事業化経験を生かせば夢のプロジェクトが組めるかも知れません。6000万人の木材従事者を呼び戻せるかもしれません。
インドネシアのパーム農園開発は20余年前に始まりました。つまり…、そろそろ…、老木化したパーム幹が出始めるのです。その数、一説によると年間3500万立方。まさに、違法伐採に依存していた木材消費量と同じです。これが使えれば違法伐採をしなくとも木材業界は生きてゆけます。
この壮大な夢に向かって第一歩を踏み出します。老パーム幹をパーム原木に変身させるのです。これで製材や合板をつくるのです。幸いなことにインドネシア全土にパーム農園は在ります。その中で20年を過ぎ始めた地区から始めるのです。パーム植栽面積最多のスマトラ島木材業者が一番用材不足に悩んでおりますので、先ずはここから始めましょう。
パレンバン、メダン、リアウ、この地区の木材業者にパーム原木を挽いて貰いましょう。剥いてもらいましょう。
原木と変わらぬ方法で製材出来るか、合板が作れるか、そして、その製品が売れるか?
…兎にも角にも先ずは試してもらいましょう。
製品が作れて売れれば普及の努力は要りません。黙っていても企業家は取り組んでくれるでしょう。儲かるものを見過ごすほど企業家は甘くありません。パーム原木が木材業界を蘇らせる日を夢見て!
以前、石の文化圏であるインドネシアに木造住宅を建てるという『壮大な挑戦』の夢を語ったことがありました。現在、文化の違いを乗り越えるこの壮大な挑戦はパートナーの手で着々と進められております。インドネシアの地で耐震木造プレハブ住宅が見れる日を楽しみに頑張って行きます。
夢の多さがインドネシア人生の特徴です。ギスギスしないで夢見心地で生きてゆけるのです。でも、生きる時間に限度があります。無制限な夢は見れません。幻で終わらせないよう頑張ります。最後のご奉公で頑張ります。ご賛同戴ける方はお声をお掛け下さい。一緒に夢見ましょう。