インドネシアでは思わぬことに遭遇することが間々有ります。たとえば工場でサソリが潰れているのを目にします。これでこの工場内にサソリの居ることが判ります。しかし慌てぬ事です。潰れているサソリは刺しませんし、生きているサソリは目にしません。
怖がる必要はどこにもないのです。気配がしても目にするまでは驚かないことです。目にしないものは居ないと思うことです。小職はそう思ってこの工場で10有余年仕事をしてきました。サソリは居なかったのです。
これがインドネシアで生きてゆくコツです。
昔、タラカン島へお越しになられた顧客を連れラーメンを食べに行きました。屋台のおいしいラーメンです。おいしいラーメンをすすりながら思わず余分な事を口に出してしまいました。
『中を余り見ないでね…』
お客は中を真剣に見ます。浮き出た油粒の中に黒い粒が見えて来ます。箸でラーメンをかき混ぜます。細い細い足(?)が出て来ます。それまで、『おいしいね』、と言っていた客が黙ります。箸が止まります。…(黒いものは小さな蟻んこ、細い足は蚊です。)
ミネラルウォーターが世に出る前、飲み水は沸かして作りました。タラカンの町では雨水を溜めて沸かしました。キャンプでは川の水を汲んで沸かしました。キャンプの飲み物はいつもコーヒーでした。なぜコヒーばかり出すのだろう?
判りました。
川の水は枯葉などから溶け出したタンニンを含んで赤黒いです。気持ち悪くて飲めないのでコーヒーを入れて真っ黒にしてから飲むのです。コーヒーと思えば赤黒い水も飲めるのです。
世の中には見ないほうが得なことが沢山あります。知らなければ済むものも知ってしまえば済まなくなってしまいます。
サマリンダにかつてあった真っ暗なバーなどはその典型です。真っ暗なバーの中では浅黒いホステスの顔は見えません。綺麗だと信じ込んでお付き合いを願うのです。
サマリンダのアイル・ヒタムやタラカンのカラン・アガツには可哀想な女性が沢山居りました。
昔のジャワでは若くして親の勧めで結婚させられ子供が出来た途端に旦那の浮気で別れる幸薄い女性達が沢山居りました。
子供を引き取って親元へ帰っても生活する糧が無い…、
そこでお金を求めて、知り合いの居ないカリマンタン島へ流れるのです。カリマンタン島各地には社会保健省の設けた公娼がありました。
ここで昼間はお針や料理を学び、夜は自分を売ってお金を稼ぐのです。稼いだお金をせっせとジャワへ送金し、残してきた子供の養育費に充てるのです。
恵まれない女性達は毎夜疲れた顔を電灯の光に隠して部屋の前に座るのです。部屋から漏れる白熱電灯の明かりを背に受けて顔が全く見えません。でも…、ここは顔も言葉も要らない世界なのです。
小職はこの人達からインドネシア語を教えてもらいました。 払った授業料はジャワに残して来た子供のミルク代になったのでしょう。知らぬが仏、薄幸の佳人と思ってお付き合い願うのです。睡蓮は泥に根を張りながら綺麗な花を水上に咲かせます。『泣いて笑って月下の巷に媚を売る女の中にも睡蓮のごとき純情あり!』男純情心意気…です。
判っていても知らぬが仏、知らぬから救われることもあるのです。
今の世の中はものが見え過ぎます。
明る過ぎます。
影が無さ過ぎます。
影は情緒なのです。
そこにあるだろうものを心の眼で見るのです!!!
昨日、美味しいミーゴレン(インドネシア焼きそば)を食べました。美味しいチョコレート入りアポガドジュースと一緒に食べました。辛いサンバル(インドネシアのチリソース)をかけて食べました。完食し満足げに皿に残ったタマネギ炒め(…と思った)を眺めてました。細く小さい足のようなものがタマネギ炒め片から見えます。タマネギの毛かしら? タマネギに毛があったかしら?
ン?
まさか…、まさか…、まさか…、とは思うけど…
心の目を使わなくとも見えました。見たくはないけど見えてしまいました。知らなけらば済むものを知ってしまったのです。
完食してしまったではないか! 足や羽はもう腹の中。untung masih ketinggalan badanya…(身体が残っていただけまだまし…)今更ゴキブリと判ったからと言って、一体俺にどうしろと言うのだ! 吐くか!
哀しいかな、凡夫の悟りは現実にはなり得ません。インドネシアで生きること30余年、営々と培ってきた生きる術が、一瞬にして霧散する哀しい現実でした。
日本もインドネシアも、最近の世の中、明るすぎるのです…。