『エコ化に真剣です』
3月6日より名古屋大学、島根大学、ガジャマダ大学、ボルネオ大学の
日-イン4大学にまたがる植林早生樹合同調査団がインドネシアの
総合木材会社スマリンドー社の協力を得て同社が東カリマンタンに所有
するバトゥプティキャンプへ植林立木調査に入りました。
目的は代表的植林早生樹であるグメリナと云う木の応力測定です。
植えてから7年経っている林地の木を大小取り混ぜて選びこの樹幹の
表面応力を歪ゲージで測るのです。
難しい理論はさておきこのような調査研究が植林木の成長と物性の
相関関係を解き明かしてくれるのだそうです。
早く成長した木の物性と遅く生長した木の物性にどのような差異が
生ずるものか、ひいては早く成長させることがどのような物性を生むのか?
そしてその木を加工利用する際にどのような注意を必要とするのか?
このような事を知るための第一歩なのだそうです。
①木は、使えばまた植えられる無限資源です。
②木を植えれば成長過程で光合成を行いCO2を吸収してくれます。
③CO2を吸収できれば地球温暖化抑制に役立ちます。
つまり三段論法的に極言させてもらえば
『木を使うことは温暖化を防ぐこと』・・・となります。
そのためには、
①どのような木をどのように植えれば早く育ち使える材(用材)となれるのか?
②これをどのように加工してどのように使えば我々の生活に役立つ木製品
として生活の中に固定化出来るのか?
③役立つのであればどのようにすればその生産過程を産業として成り立たせ
られるか?
④産業として成り立てばそれは補助金や助成金を必要とせず自前の金で
回転を続ける自立した環境保護が達成された事となりましょう。
・・・これはまさに環境産業の創造です。
この環境産業創造の出発点がこの調査研究なのです。
『経済活動自体が温暖化から地球を救う』、
と云う環境産業創造へ今まさに第一歩を踏み出しているのかもしれない・・・、
この気負いが調査研究を支えているのです。
2004年10月、奥山名大教授より要請を受けたインドネシア大手合板企業
グループ、ハスコ社の総帥アリス・スナルコ氏が、調査のフィールドとして
提供してくれたセレベス島ポロポの3年生グメリナ植林地へ住友林業筑波
研究所の井上氏を交えて予備調査に入ったのが始まりでした。
その後急逝された奥山教授の後を引き継がれた山本助教授(当時)を隊長
として2005年12月にガジャマダ大学、住友林業筑波研究所と合同で本調査を
実施いたしました。
今回はハスコグループ傘下の総合木材企業スマリンドー社から東カリマンタンの
7年生グメリナ植林林区を提供してもらい、既に教授となられている
山本博士の指導で2006年12月の予備調査、2007年3月の本調査と辿って来た次第です。
サマリンダ空港から基地であるベラウ(正式にはTANJUNG REDERP市)へ
飛ぶチェックインの際、荷物だけでなく搭乗者も直接同じ計りに乗せられました。
うら若き乙女と云えども例外とはなり得ませんでした。
これは飛距離が近すぎるためジェット機が飛ばせず古びた小型プロペラ機で
飛んで行くからです。
オーバーウエイトは小型機にとっては墜落のもと、乙女の体重とてお目こぼし
することは出来ません。
搭乗の際ふと見上げれば、尾翼の一部が破れていました。
こんな機に乗る事は実に勇気の要ることです。
着いたベラウのホテルではジョグジャでのガルーダ炎上TVニュースを盛んに
流しておりました。
翌日は植林地であるバトゥプティキャンプへ車2台を仕立てて5時間の旅。
心配した雨季の雨もなく作業は順調に進みました。
測定を終えた木から伐倒してこれを円盤状に輪切りとし日本での詳細測定用に
持ち帰る手はずも整え、皆、意気揚々とベラウの町へ引き上げました。
皮付きのままでは植物検疫に引っかかりますのでホテルの玄関横で西日を
浴びながら女学生が皮剥き作業をしてくれました。
日本人さへ珍しいベラウの町で日本の女学生が居ようとは!
誰でもびっくりするでしょう。
(これが、まさに小生の油断でした。
)
田舎のおっさん風一団がものめずらしそうに話しかけてきました。
インドネシア語は通じないのに、どこから来たの?、何をしてるの?
そのうちに一人が業を煮やして『キャン・ユウ・スピーク・イングリッシュ?』
よく見ればみんなきれいに髪を刈上げています。
ヤバイ!奴等は田舎のスケベおっさんなんかではない・・・警察だ!
咄嗟にそう感じたときは既に手遅れ、別の一団がホテルのフロントで
チェックインのために預けてあった我々のパスポートを調べていました。
呼び出され、
『学術調査団のようだが所有しているビザが観光ビザであり整合性がない、
調査許可証と通行許可証の提示を求める』と通告されてしまいました。
全く申し開きが出来ません。
『代表者2人は出頭せよ、残りはホテルにて待機せよ!』
『調べて法令違反が明白となれば日本人全員強制送還!』
時を同じくして飛行機会社から連絡がありました。
『飛行機が壊れた故予定の便は飛べず、飛べるようになる日時も未定。
ホテルにて待機願う。
』
冗談じゃない!
ホテルには警察の目が光っています。
一刻も早くこの地を離れたいのに。
だいたい尾翼の破れた飛行機を使うからこうなるのだ!
・・・嗚呼、万事休す・・・
ここからが原木駐在経験者の度胸と知恵の見せどころです。
こんな事態、昔では日常茶飯事。
これに驚いていてはインドネシアを飛び廻る原木バイヤーは務まらず。
先ずは警察へガジャマダ大学の助手ベンディー君とスマリンドー社ベラウ支店
ワルシト氏の両名を派遣して穏便に助けてもらえるよう執拗なる交渉を依頼、
必要とあらば『全て』を用意する旨付け加えました。
ベラウから次の予定地バリックパパンへ出るには飛行機で40分位なのですが、
それが駄目となると・・・
・陸路サンクリラン山系を超えて行くか、
・海路タラカン島へ向かい更に空路バリックへ飛ぶか?
山越えの陸路はバリックパパンまで14時間以上掛かる。
今は夕刻、直ぐにでも出発しないと翌日午後のバリック発ジャカルタ行きに
間に合わない。
・今直ぐ出発したいが警察はどうする?
・放って出発したら逃げたと思われて指名手配・逮捕、間違いなし。
(これじゃ強制送還では済まないな・・・。
)
・でも、警察の処理を待っていたら真夜中の山中彷徨。
虎が出るか蛇が出るか、はたまた山賊・ゲリラのお出ましか、
乙女二人の安全を守りきれるや?
・・・逡巡がグルグル脳内を駆け巡り、決めかねます。
・警察を放ってゆくのはいかにも拙い、あとに大きな禍根が残る。
・警察を処理してから出るとなると陸路山越えでは間に合わない。
・タラカン島へ出る場合バリックまでの飛行機は押さえられるのか?
先ずはこれを押さえる事に集中してみよう。
『何!、ベラウからタラカンへ電話して注文出来る?、ヤレ!』
『取れた!、それではタラカン経由と決定』
・しかし、タラカンから出る飛行機が遅れたらまたバリックで空しく足止め
・雨季の今、飛行機がまともに飛ぶはずがない。
荷物も多い。
『バリックからのジャカルタ行き便を夕方の最終便に変更できるや?』
『可能!、但し金が掛かる?、ヤレ!』
・警察はどうなったや?
『何とか穏便に解決できる?・・・OK、この封筒をお礼にお配り申せ!』
『通行許可証が出た!』
朝3時起き、4時出発と決定して車を手配。
万全を期しました。
これでよし。
『少し飲むか!、でも寝坊するといけないので30分間だけ。
』
自室に同郷のボルネオ大学講師有薗君を呼んで慰労の乾杯。
『旨い!、もう少しだけ・・・11時まで延長して飲もう!』
『何!、酒が切れた?』、『・・・寝よう』
夜明け前の4時、いよいよ出発です。
真っ暗な中、ジャングルを切り開いただけの道をひたすら駆け抜けます。
黒い木のシルエットが後ろへ吹っ飛びます。
怖くて前を見ておれません。
6時半、朝靄の中をタンジュンセロルの町に到着。
6時40分発の船に乗船。
朝日を浴びたマングローブを横に見ながら静まり返った河中を快適に
ひた走る船旅でしたが、河口を過ぎて一転。
荒波にもまれスコールに叩かれ真っ白で何も見えぬ海を遮二無二
突っ切る地獄の海峡横断。
ようやく雨に煙るタラカン島が見えました。
8時半上陸、桟橋を管理する警察の目が気になり落ち着きません。
速やかにタラカン空港へ移動すべし。
10時半に予定通り飛行機が着てしまいました。
ジャカルタ行きは最終便に変更してあるのにこれは困った。
バリック空港の馴染みのポーターへ電話です。
『便を前倒せ、何が何でも14時の便へ前倒せ!』
11時半、バリック空港に着きました。
ポーターを捕まえ、『荷物をとる前にチケットを何とかせい!』
『トアン(旦那)焦るな、何とかなるよ。
』、
『インシャラー(神の御心のままに)は許さん!』
揉みに揉んでチェックインが済みました。
ジャカルタへ着いたのは予定通りの午後3時。
4時にホテルへチェックイン。
ベラウのホテルを出てから時差を加えるとちょうど13時間。
半日で陸海空を飛び廻る、一大スペクタルの終演です。
こんな苦労を厭わないのも『植林木を使う事の意義』を知ったからです。
木材屋として『情熱が燃やせる対象』を知ったからです。
『儲かることが環境保護に繋がる稀有な業界』に身を置いた嬉しさからです。
この成果を本年10月31日~11月3日、ポートメッセ名古屋で催される
名古屋国際木工機械展で紹介申し上げます。
皆様、どうぞご来場の上、冷や汗の結実を御覧下さいませ。
追伸)
帰国直前に院生さん達を連れてボゴール農科大学のハディ副学長を
訪れました。
今回同行してくれたガジャマダ大学のヌグロホ教授もハディー教授も
昔名古屋大学へ留学して研鑽を積まれた方々です。
卒業30年を経た現在でも彼らから友人として色々な協力を得られ、
まことに同窓生冥利に尽きます。
お二人がインドネシア林政をエコ化に向けて指導される重鎮として、
ますますご活躍されんことを祈って駄文の筆を置きます。