中川木材産業は大阪・関西万博の会場整備参加サプライヤーです。 cExpo 2025
『原木屋の正夢』
久しぶり、実に20年ぶりで東カリマンタンの山へ入ってきました。
バリックパパンから小型機でベラウ郡のタンジュンレデップ町へ、
そこからジープに乗り換え揺られること5時間。
バトゥプティという昔のロギング跡、今は植林地となっている山へ
グメリナという名前の植林木調査に行ってきたのです。
この山はインドネシア有数の総合木材会社スマリンドー社が所有
しているもので、名古屋大学の山本教授を案内して入山したのです。
スマリンドー社からDeputy CEの塚本さん、そして27年前に
伊藤忠商事タラカン・ベラウ駐在員だったスラバヤ在住の児玉さんが
案内をしてくれました。
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長距離バス
原木禁輸が1985年、もう21年も前のことになります。
その頃このブラウ地区は有数の原木産地であり、多くの商社マンが
原木伐採・買い付けに訪れていたのです。
道がないので、どこへ行くにしても海か河をボートで走り回ったもの
です。
それが何と!!、…道があるのです。
タンジュンレデップの町から延々と国道のごとき道が続いており、
海路水路を走る必要なく立派な植林地まで行けました。
どんな山の中にも道があり陸路でカリマンタンを縦断できるそうです。
20年前には想像も出来なかったことです。
カリマンタンに車は似合わない、唯一の足はボートだったのです。
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当時我々原木屋は100年以上経って直径が1mもあるような立派な
天然木を伐採して日本へ送っておりました。
自然を破壊する元凶と非難されながら。
100m四方にたった2,3本しか生えていない商用樹種だけを伐って
いただけですのに、まるで禿げ山にでもするがごとき非難を浴びた
ものでした。
(大きい木も小さな木も)(価値のある木も無価値の木も)立っている
木を全て伐っていたら山から降ろす価値の無い木でコストに合わず
原木屋は大損をしてしまいます。
ビジネスマンでもある我々が、損の出るような伐採をするはずがあり
ません。
こんな当たり前のことも判らず世間は我々を指弾したのです。
我々が伐り出したラワンで建てた家に住みながら…まるでステーキを
食べながら動物愛護を唱えるがごとき矛盾です。
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こんな矛盾の中で悔しい思いをしながら山に入っていたのです。
我々原木屋は仕事をした証を後世に残すものが何もありません。
ただ、そこに立っている木を伐り出して日本へ運ぶだけだからです。
非難されながらキツイ山仕事をこなしても何も思い出に残らない。
遠い日本にいる家族にも彼女にもこの仕事を説明する縁がない。
仕事が目に見えたら良いのに…
目に見える橋やビルが残る建築家を羨ましく思った20年前でした。
途中で幾度かバスと行き違いました。
村の近くではオートバイも走っておりました。
この道のお陰で村の生活は随分変わったことでしょう。
児玉さんがふと言いました。
『これロギング道路じゃない?』
道は上り下りがきつく曲がりくねっており、いかにも最短距離で
原木を伐り出そうとして造った昔の道です。
各林区に走っているロギング道路を繋ぎ合わせさへすれば、
確かにカリマンタン縦断国道になり得ます。
木が有ればどんな奥地にも道を付けましたのでこのロギング道路を
転用しない手はありません。
原木屋が造って残した原木搬出道路がなんと国道となって健気に
地元の役に立っているのです。
造った原木業者は滅んでもその道路は立派に国道として残って
国家100年の礎となっているのです。
20年前、原木を積んだ大型トラックがで轟音凄まじく走り抜けていた
林道が記憶の彼方に浮かんできました。
ジープに揺られながら何時までも記憶の糸を辿るように車窓に流れる
道を眺めていました。
そして気が付きました。
…原木屋にも後世に誇れるモニュメントがあるじゃないか!
商業的有用樹
東カリマンタン州タンジュンレデップにて