私記…”追憶タラカン”
(インドネシアがらみの20年間を総括して)
昭和二十年代生まれの男の子は少年ケニアに憧れました。
ハリマオにもしびれました。
しかし歳を取るにつれてそんな憧れは萎んでいったものです。
ところが私は違います。
馬鹿のようにその憧れを追い求めました。
成人して尚更,その憧れは膨らみました。
高度成長時代の当時盛んに “南方材の開発輸入” という言葉
叫ばれておりました。
大学3年次,助教授の紹介で当時豊田通商が行っておられた
マレー半島中央部,ゲマス地区における森林開発現場を実見するに至り,これは自分
に与えられた天職だとさへ思うようになったのです。
その結果…
・いきなり南方エージェント会社へ就職しようとして失敗,
・合板工場研修を経て研究生と云う名目での大学への出戻り,
・出戻りを隠してパスしたTR木材への新卒入社,
・社長室社長秘書配属への驚きと落胆,
・マレー語ができるとの誤情報操作による見事な営業への配転
と云う実にめまぐるしい2年を過ごして,やっとの思いで辿り着い
たタラカン島駐在という仕事でした。
先ず少年ケニア的雰囲気を味あわなければ…
キャンプ入りしてすぐ,木馬道上にぶら下がっている蔦に飛びつき,ハイポーズ。
途端に十数メートルにも及ぶ蔦が切れて落下,危うく頭に当たり
首の骨を折るところでした。
あっという間に小屋掛けしてくれたのはいいが,ここで寝るの?
ご飯を炊いてくれたのはいいが,これを俺が喰うの?
飯は石混じり,虫混じり,
一体この飯を炊いた水はどこから? この黒いスープは?
このコーヒーはどの水で?
…なんと水溜りの水でした。
水溜りの水や川の水は,それ自体が黒褐色をしているので,
白湯では気持ち悪くて飲めません。
(だいたい白湯にはなり得ません。
)
そこでコーヒーを入れて色付けしてしまうのです。
黒を黒で消す。
しかし飲み干してはいけません。
いくらコーヒーだから黒いといっても,元は水溜りの水。
底にはヘドロが溜まるからです。
おかずは乾き納豆(テンペ)の炒めものとインドネシア流えび煎餅(クルポック)。
夜になるとバナナや椰子の葉っぱで葺いた壁や屋根から星が見えます。
雨が降ってくるとこの葉っぱが湿気をすって膨らみ,隙間を埋めてくれます
ので水が入ってきません。
さすが少年ケニヤ的生活…
と,喜んでばかりもおれないのです。
虫が来るのです。
蛇が来るのです。
日本では想像もつかない,自分の手も見えない漆黒の闇。
突然腹の端からモゾモゾと…慌てて起きかけると止められました。
ジーとしておれ!と隣りからの低い声。
モゾモゾ,モゾモゾと何かが腹の上を横断してゆきます。
過ぎ去った頃合を見計らってマッチを擦って,ギャー!!!
30センチはあろうかというムカデでした。
太さは小指並み。
朝起きればもっと大変。
トイレはどこ…? どこでするの…?
刺のあるロタンに気をつけながら藪をかき分け,なるべく人目に
つかぬところへ,そして足場を固めて草につかまり,
おもむろに…
そこへ蚊が来るのです。
剥き出しの部分に向ってブーンッと。
何匹も飛び廻っているのです。
手で叩こうとすれば,自分の出したものの上に仰向けに倒れます。
叩かなければ痒いです。
いい加減に叩くと手につきます。
叩こうか叩くまいか…草を握っている手が震えます。
そして,ふと気が付けば…紙はどこ?
キャンプ入り前に正露丸を10粒飲むという知恵がつきました。
出さなければいいのです。
こんなに苦しまないで済むのです。
キャンプには伐採人足がたくさん居ます。
遠くセレベス島から出稼ぎに来たブギス族の連中です。
気のいい連中ですが,気は荒いです。
木をはねると怒ります。
でも,不適原木をはねるのが私の仕事です。
寸検をごまかします。
この摘発も私の仕事です。
結果,喧嘩になります。
怖いです。
筋骨隆々の黒い体にパランといわれる青竜刀みたいな物を
手にしているのですから。
でもこれで退いては仕事になりません。
彼等も重たい思いをしてこの木を奥から引きずり出して来たのです。
セレベスに残してきた家族に送金をしなければならないのです。
その思いを汲んで1本戻して2本はねる。
逆はダメです。
なめられます。
お前達も苦労するな…
家族の為に遠くカリマンタンまで出稼ぎに来て。
俺も同じだ。
もっと遠くの日本から,お前達と同じように家族の為にここまで
出稼ぎに来ているのだ。
この木をはねないとくびになる,家族が路頭に迷うのだ。
俺達は同じ境遇のカワン(友達)ではないか!
1本はお前達の家族の為に戻す。
2本は俺の家族のためにはねさせろ!
男と男の話し合いなのです。
そして彼等も判ってくれます。
国を違えても同じ哀愁(?)を抱えた男同士なのですから。
こんな気のいい男達を本当に怒らせた事がありました。
原木を筏に組んで積み地まで出せば彼等に伐採請負金を払う
約束なのです。
ところが当時私の所属していた現地輸出業社は,
金回りが良くありませんでした。
輸出キャンセルトラブルにより,ついに支払不能に陥ってしまったのです。
ジャカルタ本社から運転資金を送ってきません。
TR社から出向してこの業者のタラカン支店長を勤めていた私は
必死に町のサプライヤーや友人に金を借りて凌いでおりましたが
ついにお手あげ,とうとう彼等が大挙してキャンプから出てタラカンの家に
押しかけてきました。
ここのボスは誰だ! 約束通り金を払え!
事情を説明しても解ってはくれません。
俺達はカワンではないか! なぜ俺達を苦しめるのだ!
金を払え!…払わなければこの家に火をつけてお前も殺す!
家の周りに彼等が座り込みを始めました。
皆,足の靴下の中に短剣を挿しております。
近所の人たちも怖がって近ずきません。
私が外へ出ようとしても出してくれません。
幾日もこのような日々が続きました。
ある晩遅くに私の現地従業員達より注進が入りました。
今晩逃げろ!…彼等は本気になって来た,と。
彼等の手引きで夜中に裏口から抜け出し町のホテルへ。
早朝空港へ,そのままジャカルタ経由で,情けないことに
私は日本まで逃げたのでした。
数ヶ月振りにタラカンへ戻ってみますと,何も残っていませんでした。
家財道具も事務用品も…私の衣服や靴までも。
でも,全ては金を払わなかった私達が悪いのでした。
私の着古した下着まで持ち去った彼等に申し訳なく…,泣きました。
初め楽しく,終わり哀しい少年ケニアでした。
【神谷拝 岡崎にて】