日本人は、大昔から植物とのつき合は深かった。森林国であり米を主食とし、木の皮や麻などから衣服をつくり、木の道具を使い、木の家に住むなど、衣食住のすべてに係わってきたのだから当然であろう。樹木の母である森林からは、木の実や鳥や獣などの食糧を、また暖を取ったり食事の煮たき用の薪を得るなどその恵みをうまく利用して暮してきた。
なかでも森林から伐り出された木材は、身近かに、手軽に手に入れやすく、また加工もし易い材料として住居や道具をつくる生活の必需品として使われてきた。福井県の鳥浜遺跡や静岡県の登呂遺跡の調査からも、また日本書記には、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が「杉と楠で浮宝(船)をつくれ、桧で宮殿(家)をつくれ、槙で棺をつくれ」と教えたとあり、日本人は相当古くから木の性質をよく知っていて、その使い方を心得ていたことがうかがえる。
日本列島の気候は、温暖で雨が多く樹木の生育に好適で、海に囲まれた地形は、山あり谷あり、南北に細長く南方系と北方系の植物の接点にもなっていて木の種類も豊富であった。古代日本の代表的文化財として今も歌い続けられている万葉集には約450首の歌が集録されているがそのうちの3分の1は、植物(約150種)が詠み込まれており、概して木(約80種)が多く詠まれている。万葉人は、草木を愛し、食用、薬用、染料、和紙、衣服、工芸、建築等の実用に供し、庭にまで植えて観賞していた。時代が移って行っても、木という材料が、日本の気候風土にあうので、金属の道具が使われるようになっても、木で間にあうものは木が使われてきた。このように木の良さを生かし使う暮し方、日本独特の木の文化が生れ、受けつがれてきた。このように、木と仲良くやって来たので、人の姓や名前にも木偏の字が多く使われているし、たいていの人が木の名前をあげろと言われれば、たちどころに「木偏漢字シリーズ」のおおよそは頭に浮んでこよう。しかし、名前と実物とが、すべて一致するかと言えば、はなはだ怪しくなってくるのではなかろうか。
近年、都市の開発や、新材料の進出で自然や緑が減少し、木造住宅も姿を消して行き、身の回りから木製の道具や日用品も消えてきている。このことは、長年の木との付き合が段々と薄れていき、ついには木を疎外ししてきた。都市砂漠と言われ、景観、文化、うるおい、などの面からもゆるがせにできなくなってきている。
その反省として都市に、緑の復活、そして生活の中に、ぬくもりのある木との付き合い方を改めて見直そうというムードが芽生えつつある。緑の本命は、何といっても樹木であり、森林である。日本に自生する樹木は1000種ばかりで、草のようなセンリョウから、30m以上の大木にもなるクスノキなど、また堅い木、柔い木、重い木、軽い木など多種多彩である。しかし、日常に使われている木材は100種類くらいである。木材にするほど大きくならないとか、まとまって手に入りにくいとか、性質が利用するのに都合が悪いなどからであるが、これからの研究によって、利用範囲が無限に広がるであろう。中川藤一さんが、木偏の漢字シリーズをおはじめになり、私自身も教えられるところが多く、興味深く読ませていただき、次が出るのを待つ程であった。最近、木の名前は殆どが仮名書きとなり、改めて木の漢字を教えられたが、その中で木が付いた事は、栃、栂、榊など、国字が多いことで、日本特有の木が多い事を再認識した次第である。
このシリーズは、歌や俳句を巧みに配し、軽妙なタッチで親しみ易く、木に対する啓蒙がされている。永年、木材産業にたずさわって来られた文化人の中川さんならではのことで、これから木とのつき合いを深めていただく人にとって、好適な読物としてお奨めしたい。