もも
ミキフルグサ、ミチトセグサ、ミチヨグサ。
中国黄河上流地域起源地といわれている。桃の歴史はとても古く、約2500年前から中国で栽培されていて、孔子が著した書にも桃の名が登場していた。B
C400~250年頃には薬用、食用、鑑賞花として栽培され、AD1世紀ごろに欧州にも広まった。
高さ3~8mほどの小高木で、花は3~4月、葉よりも先に開花し美しい、花色は桃色が基本で、白、濃紅などがある。かすかな香りがある。花を観賞する園
芸品種を花桃(ハナモモ]と呼んでいる。材は黄色で細工物に用いる。
7~8月に熟す果実は、野生では径3cmぐらいだが栽培されたものでは大きく肉厚多汁で美味しい。
桃の生産量については、やはり中国が一番で日本が世界6番目。日本では山梨がダントツに多い。しかし、岡山県は現在の桃の生まれた地で、日本の主
要な品種が生まれている。子供の頃、父が岡山に出張すれば、岡山のきび団子をお土産に持ち帰った。「ひとつください、おともします」と桃太郎の話をまね
て、追加のきび団子を両親にねだったことを思い出す。
日本で確認できる最古の桃は長崎県の伊木力(いきりき]遺跡で、縄文時代前期の小柄なモモが見つかっている。『古事記』『日本書紀』に桃の記述がある。
名前の由来は、花や果実が多いから、果実が美味だから真実(まみ]の説などがある。
桃という文字は木偏に兆である。中国、殷の時代では動物の骨などを焼き、その割れ方をみて吉凶を卜(うらな]った。ちなみに卜の文字は骨などのビビ割れの形をイメージしている。左右に開いて割れたヒビの形を描いたのが「兆」という字である。
モモに桃と当てたのは、その実が右と左にパンと割れるからだ。明治大正時代時代に未婚の女性にはやった髪型を「ももわれ」と呼んだのも、桃が割れたよ
うになっているのことからである。
桃太郎の絵に描かれた桃や昔からの美術品は、どれも先端のとがった実が描かれている。しかし、現代売られているモモの実は、全体が丸くて、とがったも
のはない。明治後期に岡山県の混植園で突然変異で発見された白桃がある。これは大変美味しく、急速に普及したが、形は現代の丸いものであった。今の
桃は、ほとんどこれらの系統の子孫。
現代でも桃の弓や桃杖で鬼をはらう儀式も一部の寺社にあり、魔よけのために寺院の建物に桃が彫られていることもある。古くから桃は病魔や災厄をよ
せつけなく、不老不死をもたらすと思われ、西王母が桃を食べて寿命を三千年も延ばしたとか、武陵桃源のユートピアなど、さまざまな話がある。
桃についての熟語ことわざは非常に多い、四文字熟語でも 「桃李満門」など10語以上あるし、、ことわざは「一桃腐りて百桃損ず」など30近くある
漢方では、つぼみをや、種子を利用し、さまざまな治療に用いる。父は私の息子にあせもがあるのを知ると、桃の葉には効力があると言い、自宅の桃の木
の葉を布袋に入れて風呂に一緒に入ったが、2度ほどの入浴で全快した。
- 学名
- Amygdalus persica
- 科
- バラ科
- 属
- サクラ属
- 英名
- peach 、a peach tree
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