たちばな
ニッポンタチバナ、ヤマトタチバナ
常緑の小高木で高さ3~5mになる。近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。5~6月に咲く白色5弁花は、小さいが美しくいい香がある。黄色に
熟す果実は扁球形で、径は3cm前後。酸味が強く生食には向かないが、台湾では調味料として使われている。鉢植えとして鑑賞されることも多い。
橘は日本原産とされる唯一の柑橘類だが、古来より橘と呼ばれるものの多くは食用にもされるミカン類をひっくるめて呼んでいることがあり、現在の橘とは
限らない。古代日本の柑橘類の総称と見るべきだ。
橘の名の由来は、いつくかある。立ち花に由来するというのもあるが、田道間守の「田道間花」がつまって、「たちばな」になったのというのが一番説得力が
ある。
父は郷里和歌山の御坊にさまざまな想いがあったようで、母校日高中学校(現日高高校)の校歌に橘が歌われているので、「木偏百樹」にその一節を紹介していた。
古事記と日本書紀には、垂仁(すいにん)天皇の命を受けて田道間守は不老不死の力を持った非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世(とこよ)国へ赴き、十年の艱難辛苦(かんなんしんく)の末、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を手に入れて帰国する。これが「橘」であったとも伝えられている。採取した種から六本の樹が育ち、紀州名物の蜜柑の原種であると言い伝え
られている。その地が御坊近くの下津の橘本で、田道間守を祭神とする橘本神社が建立された。
「菓」を「このみ」と読むように、昔は果物は菓子であり、果実や木の実もおやつ代わりにしていて水菓子とも呼ばれていた。このため田道間守はお菓子の祖
といわれるようになった。しかし、時代の変化とともに、菓子といえば、今のお菓子をさすようになり、「水菓子」という言葉も辞書でしか見ることができなくなっ
た。しかし橘本神社には「菓子の神様」として、菓子業に携わる製菓業者・菓子販売業者や、果物店関係者の参拝が多いという。
田道間守が苦労の末に遠い国から橘を運んで帰る様子は、『田道間守の歌』となって、戦前の教科書にあったという。橘本神社には、その歌碑がある。科学、芸術などの文化の発達に関して偉大な貢献をなした人に与えられるものに文化勲章がある。昭和12年に設けられた最も新しい勲章だが、多くの人に
なじみ深いものとなっている。この勲章のデザインには橘の五弁の花が、鈕(ちゅうつまみの事)にも橘の実と葉が用いられている。京都御所紫辰殿の「右近の橘」からとったものとされているが、調べてみると、もうひとつの逸話があった。
もともと文化勲章の図案は桜の花が予定されていたが、「桜は昔から武を表す意味によく用いられているから、文の方面の勲績を賞するには橘を用いたら
どうか」との昭和天皇のお考えにより、橘の花に曲玉を配する図案となったという(『増補皇室事典』井原頼明著)。そして昔の「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)の話も大いに関係していると思う。散る印象のある桜よりも、凛とし気品があり、永劫悠久のイメージ橘が合っていると思う。
- 学名
- Citrus tachibana
- 科
- ミカン科
- 属
- ミカン属
- 英名
- Tachibana Orange
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