すべての小説でキリの出現ランクは19番目ですが、作家の取り上げは8番目でした。
キリの名前を小説に入れた作家は36名います。また1つ以上キリの名前を使った小説としては59小説でした。
すべての小説での出現回数は134箇所ありました。
キリが一番出現する小説は夏目漱石の「吾輩は猫である」です。
キリの最も出現回数の多い作家は夏目漱石で19箇所、 以下、島崎藤村の10箇所、*キリ水上勉の9箇所、*キリ有吉佐和子の7箇所、*キリ川端康成の6箇所、*キリ井伏鱒二の6箇所、*キリ山崎豊子の6箇所(以下省略)でした。
また小説別では、
夏目漱石の「吾輩は猫である」12箇所、島崎藤村の「夜明け前」6箇所、井伏鱒二の「駅前旅館」5箇所、山崎豊子の「花のれん」5箇所、夏目漱石の「永日小品」4箇所、山本周五郎の「五瓣の椿」4箇所、有吉佐和子の「華岡青洲の妻」4箇所、伊藤左千夫の「野菊の墓」3箇所、水上勉の「櫻守」3箇所、川端康成の「雪国」3箇所、夢野久作の「あやかしの鼓」3箇所(以下省略)<
でした。
以下に面白い、素敵、綺麗な表現のあるものをピックアップします。
キリに関する情報と写真はコチラ
- 伊藤左千夫の「野菊の墓」
- 真中程に桐の樹が二本繁っている。葉が落ちかけて居るけれど、十月の熱を凌ぐには十分だ。(27頁)
- 桐の葉に包んで置いた竜胆(りんどう)の花を手に採って、急に話を転じた。(33頁)
- 夏目漱石の「吾輩は猫である」
- 玉を抱いて罪ありと云う古語があるそうだが、これは桐を生やして銭なしと云っても然るべき(259頁)
- 尾崎紅葉の「金色夜叉」
- 桐の木高く植列ねたる下道の清く掃いたるを行窮れば、(142頁)
- 田山花袋の「田舎教師」
- せきちくなどが咲き、裏の畑の桐の花は高く薫(かお)った。(222頁)
- 谷崎潤一郎の「卍(まんじ)」
- あたしは今窓の外の桐の花にふりそそぐ雨の音をききながら、(40頁)
- 岡本かの子の「老妓抄」
- 大陸のような雲が少し雨気で色を濁しながらゆるゆる移って行く。隣の乾物の陰に桐の花が咲いている。(28頁)
- 夢野久作の「あやかしの鼓」
- 真中に鉄色のふっくりした座布団が二つ、金蒔絵をした桐の丸胴の火鉢、床の間には白孔雀の掛け物と大きな白牡丹の花活(はないけ)がしてあって、丸い青銅の電気ストーブが私の背後うしろに真赤になっていた。(394頁)
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- 倉田百三の「出家とその弟子」
- あらいやだ。桐のがらだわ。(173頁)
- 江戸川乱歩の「陰獣」
- 桐の落葉の刺繍を置いた黒繻子(じゆす)の帯をしめて、(334頁)
- 井伏鱒二の「駅前旅館」
- 同じく古ぼけて見えるように桐の木の皮でくすべたということです。(135頁)
- 川端康成の「雪国」
- 駒箇の東京暮らしの名残か、柾目のみごとな桐だった。(52頁)
- 太宰治の「ロマネスク」
- 林檎の果実が手毬くらいに大きく珊瑚くらいに赤く、桐の実みたいに鈴成りに成ったのである。(266頁)
- 山崎豊子の「花のれん」
- 本別珍(べっちん)に柾目の通った桐台の下駄である。(78頁)
- 宮尾登美子の「櫂」
- 上町の傘屋も桐油(とうゆ)が匂うけれど、(19頁)