バラは木ですが、花の観賞用としての用途が多いですね。ツバキが日本的とするとバラは西洋風というイメージがあります。
私は会社へ歩いて通勤していますが、途中には何カ所かにパラが植えてあり、それをよく撮影し、SNSに投稿しています。
バラは撮りやすそうに思えますが、プロの写真家でも難しいと聞いたことがあります。
すべての小説での出現ランクは13番目ですが、作家の取り上げは16番目でした。
パラの名前を小説に入れた作家は30名います。また1つ以上パラの名前を使った小説としては59の小説でした。
すべての小説での出現回数は212箇所ありました。
最も出現回数の多い作家は佐藤春夫で48箇所、 これはすべて「田園の憂鬱」からです。
次は三島由紀夫で18箇所です。
以下、堀辰雄の18箇所、宮沢賢治の14箇所、夏目漱石の11箇所、芥川竜之介の9箇所、太宰治の8箇所、渡辺淳一の7箇所、有島武郎の7箇所、永井荷風の5箇所でした。(以下省略)
また小説別では、*佐藤春夫の「田園の憂鬱」48箇所、堀辰雄の「美しい村」18箇所、三島由紀夫の「白蟻の巣」9箇所、宮沢賢治の「よく利く薬とえらい薬」7箇所、渡辺淳一の「桜の樹の下で」7箇所、有島武郎の「或る女」6箇所、夏目漱石の「永日小品」4箇所、三島由紀夫の「薔薇と海賊」4箇所でした。(以下省略)
以下に面白い、素敵、綺麗な表現のあるものをピックアップします。
バラに関する情報と写真はコチラ
- 夏目漱石の「それから」
- 庭の隅に咲いた薔薇の花の赤いのを見るたびに、それが点々として眼を刺してならなかった。(132頁)
- 柘榴ざくろの花は、薔薇よりも派手にかつ重苦しく見えた(132頁)
- そうして、薔薇の香のする眠(ねむり)に就いた。(177頁)
- 夏目漱石の「永日小品」
- 一本の薔薇が這(は)いかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟まった花をいくつか着けた。(135頁)
- 鼠色の壁は薔薇の蔓の届かぬ限りを尽くして真直に聳(そびえ)ている。(135頁)
- 夏目漱石の「三四郎」
- その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。(29頁)
- 尾崎紅葉の「金色夜叉」
- 隣に養へる薔薇の香の烈く薫んじて、颯(さ)と座に入る風の、(539頁)
- 谷崎潤一郎の「痴人の愛」
- オミはソオファへ仰向けにねころんで、薔薇の花を持ちながら、それを頻しきりに唇へあてていじくっていたかと思うと、(54頁)
- 芥川竜之介の「或阿呆の一生」
- 彼は薔薇の葉の匂のする懐疑主義を枕にしながら、アナトオル・フランスの本を読んでいた。(163頁)
- 佐藤春夫の「田園の憂鬱」
- ゲエテが彼に遺して置いてくれたではないか――「薔薇ならば花開かん」と。(39頁)
- さうして、薔薇の色と香と、さては葉も刺とげも、それらの優秀な無数の詩句の一つ一つを肥料として己のなかに汲み上げ吸ひ込んで―(40頁)
- 彼は「薔薇」という文字そのものにさへ愛を感じた。(41頁)
- この日かげの薔薇の木、忍辱の薔薇の木の上に日光の恩恵を浴びせてやりたい。(41頁)
- 薔薇を抱擁する日向(ひなた)は追々と広くなつた。(43頁)
- 井上靖の「欅の木」
- バラは梅雨の時が一番きれいに見えるね。(259頁)
- 三島由紀夫の「金閣寺」
- たとえば人間を薔薇の花のように内も外もないものとして眺めること、(73頁)
- 薔薇の花弁のように、しなやかに飜え(ひるがえ)し、巻き返して、日光や五月の微風にさらすことがてきたとしたら。(74頁)