両三日前水車米上荷船の五十艘余入津
二相成り少々安気いたし居候得共元来払底の
事故公辺沖も兵粮向不足の由ニて御買上ニ
相成諸屋敷ハ一切払米なし実ニ可恐事
ニ相成申候
一 京師御幸橋先達て中御掛渡の噂
専ニて追々出来もはや木拵基石?出来
有之候処此頃ニ至リ御延引ニ相成被申候由
どふか薩土の内より東遷の事相計リ候
哉ニて相休リ候風説
一 旧長州邸碑石摺案外むつかしく漸く
二枚出来いたし候其まま差上申候尤文面磨滅
ニ付相分リ兼候付拙筆文盲の私蛇足ニ至ニ
候得共別紙写し取奉御覧候御勘考被遊
御読可被下候右の邸名此節当地より壱里余
東在産湯の清水と申所也何某別荘ニ
相述遵有之候同人甚秘密ニいたし居候得共
幸拙者能傳手有之写し取申候猶追て今
一段墨紙相撰摺可申候と存候其節念入
摺取さし上申候 以上