候ニ付何卒救呉候やう申立強訴同やうの
事ニ申入候処亀蔵事才気有男にて当時の
人気相察し早速聞届当時買入の米
も少々有之間貧人ヘハ米一升二百五十文ニて
売出し候由ニて安静いたし事の由右の事件
追々押移リ終ニ兵庫西ノ宮いたみ池田
?も相騒き候由
又一信 若山より
池田伊丹辺八日九日十日?兵庫同
様の事ニて多人数寄集リ家敷十六軒
程打砕候由右ニ付召捕方罷出大勢召
捕頭取の者吟味いたし候得共一向白状
いたし不申其中ニは頭取ハ天下と申奴ツ
有之夷国交易より如此相成候やうの過
言吐候者多く有之一剋も早く首刎候様
候やうに申出候者多分有之由恐入候事ニ候
又一信 糖源より 伝達ノ名後ノ七月廿七日ノ条ニ出
紀ノ原より
両三日己前より兵庫西ノ宮池田杯一揆
相発リ凡壱萬人計リ兵庫ヘ詰より大家
両三軒も打砕追々召捕ニ相成リ候由