者大坂?罷登り候様御達しニ相成候節熟
も気分不相勝候ニ付上坂の義御断申上置
候其後末家中熟へも快気仕候者有之義
を不承及候 殊ニ備前筑前両人の義ハ去秋
可罷登国許ニ於て内決も仕候得共同不快
を申罷在備後之助儀は備前一名中の
者故右為名代差出筑前も同様ニ付井原
主計差出候処是又途中より気分不相
勝候ニ付其末木梨彦右衛門名代相勤御
尋の御用も拝承仕候段右備前筑
前も此度ニても如何可有御坐候哉尤も其の後
時日も経候事故快気仕早々当地?罷出
候哉も不存候得共去年以来の処心付候
はは入御耳候得は可然御含置被下度
相願候 以上
二月廿七日
右書面備後之助、木梨彦右衛門限ニて決
断差出候義と?不相見 二月二十六日同人
共より本藩江早速使者差出本藩よりも
前後追々使者入込ニ相成候趣相聞へ候由