ツバキ科の常緑低木だが、日本列島の暖地では、とき高さ10m近く、直径30㎝にもなる。岩手県、秋田県以南から四国、九州、琉球列島、および朝鮮半島南部、台湾、中国、インド、マレーなどにに分布する。目立たないが非常に数が多く照葉樹林ではどこの森にも生えている。直射光にも強く、伐採時などにもよく残る。また、栽培されていることも多い。別名もビシャコ、ヒシャシャギ、シャシャキ、クサカキなど数多くある。
樹皮は灰褐色、不規則な縦しわが多い。枝は分枝が極めて多く、葉を密につける。若枝は淡緑色または褐緑色。葉は互生、革質で表面は深緑色で光沢があり、裏面は淡黄緑色。実は10-12月に紫黒色に熟す。強健で、萌芽力はあるが生長はやや遅い。花は3-4月に黄を帯びた白だが、赤紫色を帯びたものもあり、葉腋から1-5個を束生し、下向きに咲く。雌雄異株で、雄花は少し大きく、雌花には雌しべだけのと、退化した雄しべが残るのとがあり、これは花の雌雄の分化が十分進んでいないからだとされている。また、猿たちはこの花の蜜が好物であり、晩秋に熟す果実は春の花の蜜以上に大事な食料である。この木は食餌木で、 アオゲラ、アカハラ、オナガ、カワラヒワ、キジ、コゲラ、ジョウビタキ、ツグミ、ヒヨドリ、ホウジロ、メジロ、ヤマガラなど多くの鳥がこの木の実を好んでいる。
また、興味深いのはアクシバ(灰汁柴)という別名。アルミニウムを多く含むため、この木の灰がムラサキの根で染める江戸紫やアカネ染めの媒染剤に使われたからである。ただしアクシバの名はツツジ科の低木の一種の標準和名でもある。 こんな灰にした時の用途から植物名がつけられたのは、じつは灰生産がかつては一大産業であったからである。
肥料として、陶磁器の釉薬として、さらに今日でいえばアルカリ化学薬品として広く使われていた。そのため用途ごとに各種の灰が集められ、専門の問屋もあった。江戸前期の京都で文化人として活躍し、吉野太夫との恋で知られた灰屋紹益などもその一人である。
ヒサカキは、各地でサカキとも呼ばれ、墓・仏壇へのお供え(仏さん柴)や玉串(「榊」が手に入らない関東地方以北)などとして、宗教的な利用が多い。これは、一説には本来はサカキを使っていたものの代替であるといわれる。名前も榊でないから非榊であるとか、一回り小さいので姫榊がなまったとかの説がある。
現代ではサカキの名でひさかきが使われるのが一般的になっている。サカキと混同されがちであるが、葉は「サカキ」の方が大きく、また広い。ひさかきには葉に鋸歯がある。混同を防ぐためにサカキのことをホンサカキ(本榊)ということもある。 虫害ではヒサカキノハダカムシによる被害がある。