v11.0
- ID:
-
42959
- 年:
- 2018
- 月日:
- 1022
- 見出し:
- 集成材国内トップシェアを誇る総合製材メーカーが成し遂げた地域再生。
その鍵に迫
る
- 新聞名:
- Glocal Mission Times
- 元UR(アドレス):
- https://www.glocaltimes.jp/company/4206
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
「バイオマス産業杜市」を標榜し、官民連携による地域創生を推進する岡山県真庭市。
木質バイオマス活用の先進地として全国的な注目を集め、新たな雇用と交流人口の創出にも成功している。
この価値ある挑戦を一貫して主導してきたのが、同市に本社を置く銘建工業の社長、中島浩一郎氏。
衰退の一
途をたどった林業と地域への思い、自社で始めたバイオマス発電が官民共同の本格的なバイオマス発電事業に発展する経緯、また人材採用の現状や将来を見据えた新たなチャレンジについて、中島氏に聞いた。
中国山地の山ふところで
岡山県北部、鳥取県と県境を接する岡山県真庭市は、平成生まれの新しいまちだ。
2005年、9つの町村が合併して誕生した。
一帯は1000メートル級の山々が連なる中国山地の最深部。
広大な市域の8割までを森林が占め、古くから林業と製材業が地域経済を支えてきた。
市内に点在する盆地の町々に
は白壁が映える武家屋敷や商家が残り、四季折々の祭りが彩りを添える。
戦中戦後に滞在した文豪・谷崎潤一郎は、風光明媚な中に深い歴史の香りを湛えたその風景を、ことのほか愛したという。
市制を敷いたとはいえ、シンガポールに相当する広大な市域面積に対し、人口は5万人足らず。
その静かな山あいのまちに、ここ十数年来、国内外から訪れる視察団が引きも切らない。
視察目的は国内、いや世界でも最先端をいく木質バイオマスの利活用状況だ。
試しに「真庭 バイオマス」で検索をかけると
、たちまち夥しい数の情報がヒットする。
その深い情報の森に分け入り、時系列で整理してみる。
1993年 地域の未来を考える「21世紀の真庭塾」発足
2006年 真庭市がバイオマスタウンの指定を受ける。
同時期に「バイオマスツアー真庭」がスタート。
また市役所に全国でも例のない「バイオマス政策課」が発足
2009年 「真庭バイオマス集積基地」竣工。
同年、新エネ大賞経済産業大臣賞受賞
2013年 官民9団体が共同で発電会社「真庭バイオマス発電株式会社」を設立
2015年 「真庭バイオマス発電所」稼働。
出力1万kW
森林資源を生かした活性化策を…と考える自治体や企業がお手本にしたくなるのもうなずける実績だが、そのすべてのアクションに中心人物として関わり、取り組みを主導した人物がいる。
真庭市に本社を置く銘建工業(株)の社長、中島浩一郎氏だ。
21世紀の真庭塾で塾長を務め、真庭バイオマス発電の
社長も兼務している。
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代表取締役社長 中島 浩一郎さん
発想の転換が、産業廃棄物を宝の山に変えた
銘建工業の歴史は1923年、中島氏の祖父が創業した中島材木店に始まる。
1966年には株式会社に改組し、1970年、構造用集成材の生産開始を機に銘建工業に社名変更。
現在は集成材とペレット(おが粉やかんな屑などの製材副産物を圧縮成型した小粒の固形燃料)を二本柱に、岡山県内はもちろ
ん西日本でも屈指の規模を誇る総合製材メーカーに成長している。
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本社工場(柱ライン)/主に住宅建築に利用される集成材の柱。
月間30万本の柱を製造している
「祖父の時代から技術面の向上心が強く、製造する木材の評価も高かったようですね。
製材技術を競う全国大会のトロフィーがたくさん残っています。
親父の代には“自分たちが行くと他社の人が出られなくなるから”と、出場を取りやめたこともあったと聞いています。
それから私が中学生の頃、確か1964年の
東京オリンピックの前年だったと思いますが、当時の皇太子殿下がうちの製材所に視察に立ち寄られたこともありました。
熱心に質問される殿下に、懸命にご説明申し上げる親父の姿を覚えています」
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