v11.0
- ID:
- 41844
- 年:
- 2018
- 月日:
- 0619
- 見出し:
- 西粟倉の木工房「ようび」再興。
微力は無力ではないを証明した2年半の軌跡を考え
る
- 新聞名:
- HOME'S PRESS
- 元UR(アドレス):
- https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00780/
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
2016年1月23日の早朝、岡山県西粟倉村で火事が起きた。
その火災で約7年前から土地の檜を使って家具を作っていた木工房「ようび」が全焼した。
被害総額は8,000万円以上。
職人中心の、社員10人に満たない会社、しかも初期投資が大きい製造業にとって普通は立ち上がれないくらいに大きな、大きす
ぎるダメージである。
しかし、火事の翌日、彼らは立ち上がることを決める。
「今、世の中には自分は小さな存在で無力だと感じている人が多いと思う。
だけど、そういう人たちが集まればそれは大きな力になる。
微力は無力ではない、普通の人が集まったら普通じゃないことができる、再建に当たっては多くの人の力を集めて、それを
証明したいと思いました」とようび代表の大島正幸氏
大島氏の決意を後押ししたのは2009年の創業以来、ようびを支援してきた人たちだ。
火災後にはようび復興を支援するプロジェクトが立ち上がったし、協力依頼に言下に応えた人も多数いた。
たとえば広島県廿日市市で杉足場板を扱うウッドプロの中本敬章氏は大島氏の「足場板を分けてもらえませんか」と
いう依頼に一言、「分かったよ」と応えた。
そして、とてもたくさんの貴重な材料を分けてくれた。
「ようびは檜、ウッドプロは杉。
お互い針葉樹で家具を作る異端同士、同志だと思っていました。
だから必要ならば協力しなければと思った。
それだけです」
そうした手助けが問題を課題に変えてくれたと大島氏。
「問題というと他人事で、大変なことのように思いますが、課題と考えれば乗り越えるべきもの、自分のテーマになる。
様々な人の助けを得ながら、社屋再建は解決可能な課題になりました」
「やったことがないからできない」を変える
時間をかけ、技術を磨いて家具には向かないといわれた檜を素材にした家具作りに成功した「ようび」である。
効率的に短時間で建つような社屋を再建したのでは、これまでやってきたことに背くと木で作ることになった。
しかも、延べ床面積800m2というサイズの建物を専門家ではない多くの人たちが手で木材を刻
んで組み立てるという、非常に面倒な、いや、考えられる限り最も面倒な方法で作ることにした。
当然、困難は多々あった。
棟梁を引き受けてくれたのは、これまでの数年間、ようびとの仕事を重ねてきた人。
人口1,470人(2018年5月1日現在)の西粟倉村だが、そこに大工は30人以上いる。
けれども、加勢を相談した何人かには「やったことがないからできない」と断られたという。
棟梁には「小さな無理を少し
ずつお願いしてきた、その積み重ねがあったから受けてくれたのだと思います」と建築担当の大島奈緒子氏。
最終的には棟梁やこれまで一緒に仕事をしてきた人たちからの紹介で職人が集まったそうだ
地方の小さな自治体内で大きな建築物を作る場合、自治体外の大手が手掛けるのが一般的だ。
一部、現場の作業を地元の職人がやるとしても大半の予算は自治体外に流れる。
だが、今回の再建工事に関わった職人の大半は地元の人たち。
それによって経済的流出が防げたのみならず、大きなもので
も地元でできるという意識が生まれたのではないかと奈緒子氏
加えて、今回は経験豊富な職人にとっても見慣れない納まりや、厳しい工期、ボランティアとともに作業をするなど、これまでの仕事とは違うやり方の作業が必要だった。
その結果として新しい技術や経験が地域に残ったのではないか。
伝統的な技術も大事だが、新たなことに挑戦し、成し遂げたという自信を得る
こともまた、未来を築くうえでは必要。
その機会になったのではないかとも。
地域にも役立つ再建だったのである
ツギテプロジェクトとはこの建物の木を継いで作ることでもあり、人を繋ぐことでもあり、様々な意味が込められている
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