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    ID:
    39832
    年:
    2017
    月日:
    1018
    見出し:
    【花宗川の詩 八女筑後大木大川】(11)材木店 家具産業を支え150年
    新聞名:
    西日本新聞
    元UR(アドレス):
    http://www.nishinippon.co.jp/nnp/fukuoka_serialization/article/366361
    写真:
    【写真】
    記事
     筑後平野をゆっくりと流れ、大川市の河口まで到達した花宗川。
    九州一の大河、筑後川の力強い流れと対をなす、ゆるやかな流れこそが大川市の木材産業を生み、育んだ  かつては一日中、製材所のチェーンソーの音が響き渡っていたという同市の小保(こぼ)・榎津(えのきづ)地区。
    「子どもの頃は、花宗川にイカダを引き入れる人、解体する人、木材を製材所に引き上げる人、たくさんの人が川で働いていました」。
    1865(慶応元)年創業で、今も川沿いに本社がある近藤材 木店5代目、近藤敏郎会長(77)が往時のにぎわいを教えてくれた。  大分県日田地方で伐採されたスギやヒノキなどは、イカダに組まれ筑後川を下って大川へと運ばれた。
    江戸時代の天保年間(1831~45)に始まったとされ、大川に着いたイカダは流れのゆるやかな花宗川に引き込まれ、材木の貯留所に集められた。
    クレーンなどの重機がない時代には、重たい木材を陸 に引き上げるため干満の差を利用したという。  材木が集積することで、さまざまな産業が生まれた。
    その一つが大川家具。
    明治期に花開き、1955年には西日本物産展で大川調の「引き手なしたんす」が最高賞を受賞した。  だが、その頃を境に木工のまちに変化が起きる。
    イカダ流しは、夜明ダム(うきは市、大分県日田市)の着工で筑後川が分断され1952年に姿を消した。
    輸送の主力はトラックに代わり木材の搬出も広域化。
    最盛期には約10社あった川沿いの材木店も、同社を含め4社にまで減った。  大川家具もやがて低迷期に入る。
    主力だった婚礼家具が生活スタイルの変化とともに衰退し、バブル経済の崩壊が追い打ちを掛けた。  苦境の中、2012年に近藤材木店の6代目として経営を引き継いだのが近藤真一郎社長(45)だ。
    「長い歴史があって自分がいる。
    ちょっとやそっとじゃ負けられないですよ」と力を込める。
    木工業者の後継者などで組織する大川木材青壮年会で19年間活動。
    市内の小学校での植樹や木工教室など、木 の魅力を伝えることに力を注いできた。  近年、大川家具はモダンインテリアへの商品転換が進み、ネット販売などを通じ元気を取り戻しつつある。
    真一郎社長は「特色ある木材提供で新しい流れに乗りたい」と前を向く  今年7月の九州豪雨。
    筑後川上流部の山間部で発生した大量の流木で被害が拡大した。
    国内林業の低迷による山の荒廃が原因と指摘される。
    かつて上流部と大川は「一心同体」だった。
    花宗川が生んだ「木のまち大川」はこの課題にどう向き合うのか。
    その先に新しい時代が待っている。 =2017/10/17付 西日本新聞朝刊= fff:

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