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- ID:
- 36992
- 年:
- 2016
- 月日:
- 1203
- 見出し:
- 火に燃えた西將台の廃木材で作った「南怡將台」
- 新聞名:
- 東亜日報
- 元UR(アドレス):
- http://japanese.donga.com/List/3/08/27/794361/1
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
南怡島(ナミソム)の船着場には、こんな文が掲載されている。
「ナミナラ共和国(Naminara Republic)」。
切符売場に「出入国管理事務所」という看板が掲げられている理由でもある。
この「島国」の交通便は2つのみ。
船舶(往復)やジップワイヤー(Zip Wire:陸地から島方向のみ)だ
「ナミナラ共和国」は元々島ではない。
北漢江(ブクハンガン)にある清平(チョンピョン)ダムの築造によって水面が上がり、陸地が孤立してできた島でない島だ。
1960年代に閔丙燾(ミン・ビョンド、1916~2006)が、韓国銀行総裁から退く際に受け取った退職金で購入した。
当時は、9世帯が落花生を栽培
し、桑の木のみあった痩せた土地だった。
それが、木々が生い茂った島へと生まれ変わったのは、当時から始めた植樹や造景のおかげだ。
閔氏は、千里浦(チョンリポ)樹木園の設立者である閔丙㵧(ミン・ビョンガル)氏(1921~2002)と友人で、二人は競争でもするかのように南怡島と千里浦で、植樹に
精を入れた
そんな南怡島で最も目覚ましいことは「リサイクルを通じての復活」。
島であふれかえる生命力の源は、捨てられたり死んでしまった廃品だという。
初事例は湖岸補強。
島でなく、川辺だったので、土壌流失が激しかった。
大雨で上下流ダムの水門を全て開放すれば、北漢江の流速が早くなり、早くなった水の流
れは、島の土を流してしまう。
それを食い止めるために築いた石築の石は、1970年代に撤去した汝矣島(ヨイド)飛行場の滑走路から持ち込んできたものだ
「想像マル」噴水台や「ユリメタ」橋を飾った分厚い板ガラスも同様だ。
三星(サムスン)証券が2009年、社屋を移転する際にその処理で頭を悩ませたリサイクル不可の衝立用強化ガラスだ。
島のいたるところを飾っているグリーン色のガラスタイルも、島の開発時に次から次へと出てきた空焼酎瓶を溶かして作
ったものだ。
松波(ソンパ)銀杏並木の黄色い銀杏の葉も、その半分は松波区役所が管内で収集して送ってきたものだ
リサイクルの白眉は、ほかならぬ南怡將臺(将帥が上に立って指揮していた台)。
大型基壇上に立っている高さ10.8メートルのこの2層楼閣は、2006年、火災で灰とかした水原華城(スウォン・ファソン、ユネスコ世界遺産)西將台(ソジャンデ)をコピーしたものだ。
ナミナラは文化財庁や水原市と協議して、廃
木材を持ち込んでこの建物を建てた。
足りない部分を補った木材や瓦も一風変わっている。
木々は、洛山寺(ナクサンサ)の火災(2005年)で燃えた松の木を切ったものであり、瓦は、智異山・雙磎寺(チリサン・サンゲサ)が新しい瓦に変える際に捨てたものだ。
ホテル「チョングァンル」の芝生の造形石はひき
臼を掘って捨てた幾何学的文様の石材であり、ドラマ「冬のソナタ」に登場した壁付き暖炉屋のチョオク工房は、川の向こう側に捨てられていた100年前の廃家を蘇らせたものだ
このような共栄や復活は、島に常駐する環境運動連合との緊密で頑丈がコラボの結果だ。
ごみは資源化が原則。
死んだ木も逆さに立てて造形物として活用するほどだ。
燃やした木々の灰も、記念品を生産する焼き物工房の灰汁の原料として使う。
アモーレパシフィックが送ってきた化粧品の廃容器も、島の
入口に立てた「愛や平和の灯台」で生まれ変わった
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