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- ID:
- キズパワーパッドに貼り替えるなど、継続したキズのケアも忘れずに
36128
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0813
- 見出し:
- 戦中に木工の技動員
- 新聞名:
- 中日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20160813/CK2016081302000033.html
- 写真:
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- 記事
-
木製バット生産日本一を誇る南砺市の木工技術は、戦時中に軍事利用された。
おとり用木製飛行機や燃料タンク、手りゅう弾の柄、飛行訓練用グライダーを作った同市福光の旧木工メーカーで、戦争遺物の燃料タンクが今も社内で展示されている。
(渡辺健太)
戦時下の鉄不足の中、政府が目を付けたのが木工製品だった。
旧福光町では大正末期から木製バットなどの生産が盛ん。
現在はプラスチック製品を手掛ける会社「太平」もバットやこけしなどを製造していたが、一九四二(昭和十七)年ごろから軍需産業に組み込まれていった。
社内に残っている木製タンクは戦闘機に積むためのもの。
横二・三メートル、高さ〇・五メートルで、ガソリン約二百リットルが入る。
石崎直樹社長(70)によれば、木板を八枚ほどつなぎ合わせ、液体が漏れないように、内側をにかわで固めてある。
「技術的にはこの程度のものなら簡単」という。
当時の社報に社員の談話が載っており、戦況が悪化してきた四四年から、米軍偵察機を欺く木製飛行機を作ったという。
「飛行場に置いておくためで、ベニヤに色を塗っただけのものだった」と書かれている。
木材資源の豊かな市内では、福光地域以外でも木製飛行機を作っていたという証言がある。
城端地域で建設会社を経営する山下頌雄(かつお)さん(68)は、約二十年前に七十三歳で亡くなった父の与作さんが戦時中、同地域の木工所で実物大の木製おとり機を作っていた話を幼少期によく聞いた。
米軍に少しでも無駄な爆弾を投下させるための政府の作戦だったという。
山下さんは、「おとり機は日本各地で作っていたらしい。
滑稽だけど、日本がいかに追い詰められていたかを物語る証拠」と話した
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