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- ID:
- 35544
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0530
- 見出し:
- 反原発訴える木製家具作家 ダニー・ネフセタイさん
- 新聞名:
- 東京新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201605/CK2016053002000178.html?ref=rank
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
野鳥がさえずる皆野町の山中。
小粋なログハウスの自宅のそばの工房で、木製の注文家具を手掛ける外国人作家がいる。
ダニー・ネフセタイさん(59)。
テーブル、机、いす、ちゃぶ台。
神棚や位牌(いはい)をつくったこともある。
「神棚の一つは神社本庁からの依頼。
今は伊勢神宮に収まっています」
木工で出た端材は、妻の吉川かほるさん(57)とともに壁掛け時計や額縁、パズルやピアスに仕上げる。
それでも余った木片は自宅ストーブの薪に。
ストーブの灰は畑の肥やしとして役立てる。
ベースにあるのは「家具づくりは自然の一部を損なっている」との考え方だ
木工は故国イスラエルでの幼少時代に覚えた。
生まれ育ったのは、テルアビブの北約三十キロにある小さな村。
四人きょうだいの次男坊として、兄とともにオレンジやアボカドを栽培して一家を支えた。
町は遠く、水道の蛇口や家電が壊れれば、自分で修理しなければならない。
手先は自然と器用になった
高校を卒業し、三年間の兵役を終えた一九七九年。
ネフセタイさんの関心は海外へと向いた。
母国では社会に出るまでの数年間、国外を訪ね歩くのが一般的だ。
ネフセタイさんが目指したのは当時、「世界一物価が高い」と評判の日本。
二週間の滞在予定だった
東京ではパン屋からもらったパンの耳で食いつないだ。
滞在期間を延ばし、一カ月間仙台から熊本までヒッチハイクに出た。
トラックに乗せてもらったり、自宅に泊めてもらったり。
結局三千円で過ごせた
「全然高くないじゃない」。
人々の心も温かい。
すっかり日本の魅力にはまった。
かほるさんと結婚後、日本とイスラエルの行き来を経て、八八年から皆野町に住み着いた
転機は二〇一一年三月十一日の東日本大震災。
四月の二週間、イスラエルから来日した支援チームの通訳として、宮城県内を訪ね回った。
三百六十度見える風景の全てがめちゃくちゃ。
テレビのようにスイッチをオフにできず、惨状がいやでも目に飛び込んできた
帰郷後に皆野町の自宅に友人らを呼び寄せ、東北での経験を報告。
防災やエネルギー政策など、友人との議論は六時間に及んだ。
今後も社会の問題に目を向けていきたいと、市民団体「原発とめよう秩父人」を組織し、識者を呼んで定期的に学習会を催している
ネフセタイさんは言う。
「家具が百年後も使えなければ意味がない。
でも、百年後に人間がいなければ意味がない。
家具づくりも社会活動も、同じように価値がある」 (出来田敬司)
<Dani Nehushtai> イスラエルの地中海沿いにある町・クファービトキン生まれ。
高校卒業後、3年間の兵役を経て、日本とフィリピンを放浪。
1984年から日本に定住し、木工職人となる。
89年、皆野町に「木工房ナガリ家」を開設。
1男2女。
現在は夫婦2人暮らし。
原発や安保法をテーマに活発に講演
活動を展開している
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