ID : 15779
公開日 : 2010年 4月16日
タイトル
箱根寄せ木 明治の輸出活況
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20100415-OYT8T00137.htm
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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明治時代後期、小田原箱根地方の寄せ木細工や小田原漆器といった工芸品類を横浜外国人居留地の貿易会社約10社に出荷していた物産会社の出納帳が、小田原市内で見つかった。主にドイツやフランスに
輸出されたとみられ、出荷額は1年余りで約2万円、現在の価値に換算すると約3億円にも上り、活発な取引が行われていたことが分かる。横浜開港資料館は「箱根の工芸品輸出の実態がうかがえる貴重な史料」としてい
る。
見つかったのは、小田原箱根地方の箱根寄せ木細工や小田原漆器の製造元や問屋が出資して1898年(明治31年)、大窪村(現・小田原市板橋)に設立した「箱根物産合資会社」の出納帳。同社に出資し、現在も営業を
続ける老舗漆器製造販売会社「石川漆器」(小田原市本町)の倉庫に保管されていた。
出納帳を見つけた「箱根ラリック美術館」(箱根町仙石原)の学芸主任橋本公(いさお)さん(50)によると、外国人居留地にあった貿易会社約10社から1898年11月~1900年2月、漆器や寄せ木細工などの代金として
計約2万円が入金されていた。最大の取引先だったドイツ系商社「ウインクレル商会」からは約1万3000円の入金があった。
同社は関東大震災で帳簿を焼失しており、具体的な輸出先は不明だが、設立者が仏・パリの美術品店経営者と親しかったことから、独仏を中心に輸出されたとみられるという。
出納帳の出金欄には、ろくろで木をくりぬいて盆や椀(わん)を作る挽物(ひきもの)師や、くぎを使わず木と木を組み合わせて箱を作る指物(さしもの)師ら職人数十人に、給金や小包料金などを支払った記録もあった。
箱根物産連合会(小田原市)によると、最近は小田原漆器は輸出しておらず、寄せ木細工の輸出額も年数百万円という。明治時代に欧州で人気を博した理由について、橋本さんは「日本開国後の物珍しい時期で、欧州
では浮世絵などがもてはやされていた。幾何学模様の木工製品は斬新で人気を集めたのだろう」とみる。
企画展で展示へ 横浜開港資料館の主任調査研究員平野正裕さん(50)は「出納帳には仕入れと出荷が詳細に書き込まれている。当時の日々の商売の様子が克明に分かり、貴重だ」と話す。
出納帳は17日から箱根ラリック美術館で始まる企画展で展示される。11月23日まで。
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